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執筆者の写真みたまキリスト教会

信頼



2021.04.11

◎ヨハネ4:43~54

王室の役人は、50節と53節でなぜ二度も信じたのでしょう?一度目は偽りで、二度目で信じ直したのでしょうか?いいえ、ちがいます。不器用ながらも、もうイエスを信じるしかない、そして、神のことばが実現し神を体験したときに、初めの信仰が、神への深い信頼へと成長したのです。聖霊によって心の中に生まれたイエス・キリストを“信じます”という告白。それでも迷いやすく、疑いやすい私たち。だからこそ、神は私たちの意志を試すのです。『あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。』イエス様のことば は心を探られます。しかし真実の愛ゆえに、魂に平安を与えます。イエス以外に信頼し、期待し、傷付き裏切られ絶望する人生から解放する、完全な救いをもたらします。イエスがなされた第二のしるしによって、イエスは奇跡を行なうだけではない、空間を超越し支配するまことの神であり、このお方の御手の届かないところは、この世界にはどこにも無い、命さえ支配されていると知るのです。神が私たちに望まれていることは、救い主イエスを信じ、めでたしめでたし、終わり。ではなく、神ご自身を体験することです。神を体験するとき、イエスのことばに生きることこそが絶対に間違いのない道。もうこのお方無しには、自分の人生は成り 立たない、ということに気付かされていくのです。すべては、神の栄光がほめたたえるためです。ですから、神を体験して知っていくことは私たちの霊的財産です。もっとわたしを知ってほしい、もっと私を見つめて信頼してほしい、と神はあなたの告白を待っています。私たちは今どこに信頼を置いているでしょうか。『この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。』(森田学師)

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