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キリスト伝道隊
♱✡ 異邦人の完成とユダヤ人の回復を祈る教会 ✡♱
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても
しっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、
絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
テモテへの手紙 第二 4:2
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キリストにあって一つ
2026.05.03 「キリストにあって一つ-論理に基づく議論-」 ◎ガラテヤ3:15-29 ガラテヤ地方の教会は律法主義の影響を受けており、パウロはこれに反論するために書簡を送った。手紙は個人的弁明、教理的教え、実践的教えの三部構成で、特に3章から教理的議論が始まる。3章の内容は体験、聖書、論理に基づく議論に分かれ、今回は論理的議論(15-29)に焦点を当てる。 契約の普遍性(15-18) 人間の契約は一度結ばれると無効化や付加ができず、神の契約も同様に永遠に有効。アブラハムとその子孫への約束は、律法が与えられる前に成就し、律法によって変更されない。パウロは、アブラハムの子孫はキリストを指し、キリストにあって約束は永遠に成就することを示す。 律法の目的(19-25) 律法は約束を受けた子孫が来るまでの違反を示すために与えられたもので、一時的なものである。仲介者(モーセ)を通じて制定され、神だけが責任を持つ片務契約。律法は罪を指摘し、信仰による義に導く養育係としての役割を果たす。律法は救いの手段ではなく、罪を示し、キリストに導くための準備だ

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異邦人とアブラハム契約
2026.04.26 「異邦人とアブラハム契約-聖書に基づく議論-」 ◎ガラテヤ3:6-14 ガラテヤ地方の教会は、律法主義の影響を受けており、パウロはこれに反論するために書簡を送った。 手紙は個人的弁明、教理的教え、実践的教えの三部構成で、今回は教理的教えの部分(6-14節)を扱う。 アブラハムは神を信じ、その信仰によって義と認められた。(創15:6)。パウロはこれを引用し、信仰による義認の原則を強調。 アブラハムは割礼前に信仰によって義とされたことから、信仰が救いの基盤であることを示す。 信仰による義認はユダヤ人だけでなく異邦人にも適用され、信仰を持つ者はアブラハムの子孫とされる。聖書は、神が異邦人も信仰によって義と認めることを前もって告げており、創世記12:3や15:6を引用して、アブラハムを通じた祝福の普遍性を示す。 律法の行いによる義は不可能であり、「律法の書に書いてあるすべてを守らない者は呪われる」とし、律法は完璧を要求し、失敗すれば呪いに至る。 信仰義認は旧約聖書の教えに掲示されており、「義人は信仰によって生きる」とハバク

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Make ANATA Glitter Again
2026.04.19 「Make ANATA Glitter Again」 ◎Ⅱペテロ3:1-13 「 MAGA ( Make America Great Again )」という⾔葉を⽿にしますが、⼈間の怒りや政治的な⼒によって無理やり歴史を動かそうとする運動は、神さまの作戦ではありません。ペテロの⾔葉から、私たちが神さまのみ前で本来の輝きを取り戻す「 Make ANATA Glitter Again (あなたを再びキラキラに!)」という良い知らせをお伝えします。 世の終わりにある、この世の⾵潮の中で、私たちの魂はいつの間にか眠りこけてしまうことがあります。そんな私たちを揺り起こし、再び輝かせるのは、新しい政治的思想ではなく、預⾔者や使徒たちが伝えた「みことば」です。天地は⽕で焼かれるためにとっておかれています が、それは罪がもたらす必然的な結果です。しかし、ノアの時代に虹が輝いたように、神さまは私たちに「みことば」という救いの約束を与えてくださっています。この確かな契約の⼟台にに⽴ち返る時、私たちは⼼の「純真な輝き」を取り戻すことができる

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みことばを宣べ伝える
2026.04.12 「みことばを宣べ伝える」 ◎ローマ10:14-18、Ⅱテモテ4:2 今年度の年間標語「みことばを宣べ伝えなさい」と聞いて、重荷やプレッシャーを感じる方がおられるかもしれません 。しかし伝道とは、自分が誰かを説得して信じさせることではなく、「遣わされた人が、ただ語る」ことから始まります 。人が信仰を持つプロセスは「呼び求める」「信じる」「聞く」「宣べ伝える人がいる」「遣わされる」という逆順で成り立っています。 「すべての人が福音に従ったわけではない」とあるように、相手の反応が悪くても落胆する必要はありません 。なぜなら、信仰は「キリストについてのことば(みことば)」を通して始まるのであり、主人公はあくまで神さまだからです 。私たちは、神さまが愛のメッセージを書くための「筆」や「文字」のような存在です 。文字に自意識がないように、自分の不完全さを悩む必要はありません 。一人で完璧でなくても、教会というチームの中で神さまが私たちを並べ、一つの美しいメッセージを完成させてくださるのです。 私たちの人生は、神さまが今まさに

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キリストの弟子
2026.03.29 「キリストの弟子」 ◎マタイ28:19 新年度を迎え、私たちの教会も新しい体制へと移⾏しようとしています。今年度の教会の標語は「キリストの弟⼦」です。今、⽇本のキリスト教界は⾼齢化と牧師の深刻な不⾜による「2030年問題」に直⾯しています。私たちがこれから取り組むべきは、単なる体制の⽳埋めでは なく、これからの教会が⽣き残るための意識改⾰であり、根本的なブレイクスルーです。 極端に聞こえるかもしれませんが、「教会という組織や建物は終わってもいい」と私は思っています。私たちの⽬的は組織や建物の維持ではなく、その教会が「新しいいのち(⽣き⽣きとした信仰)」を⽣み出せるかどうかにあります。それこそが、教会に使命があるかどうかの分岐点なのです。教会の働きをいかに牧師に依存してしまっているかという課題があります。しかし、牧師ならではの使命は、すべての信徒を整えて、それぞれの奉仕の働きをさせることです(エペソ4章11-12節)。教会は皆で共に建て上げていくものであり、牧師が複数兼牧していても揺るがない教会へと変わっていかなけ

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偽教師たちにご用心!
2026.03.22 「偽教師たちにご用心!」 ◎Ⅱペテロ2:1-10 情報があふれる現代社会において、何が真実かを見分けることは非常に難しくなっています。今日の聖書箇所でペテロが警告しているのは、教会にひそかに入り込む「偽教師」の存在です。現代でも、キリスト教の仮面をかぶった異端や、極端な陰謀論など微妙なラインの教えがあふれています。なぜ人はそのような教えに騙されてしまうのでしょうか。その背景には、人生におけるコントロール感の欠如や、社会の中で傷ついた自尊心を満たそうとする「優越感」があります。多数派が知らない隠された真実を知っていると思い込むことで、傷ついた心を守ろうとしているのです。 しかし、イエスさまは「その実によって彼らを見分ける」と言われました。偽教師の教えの中心には「貪欲」があり、みことばを自己顕示や欲求の道具にする「不法」があります。聖書が語る「不法」とは、神さまの主権を退け、自分が神さまの座に座ろうとする態度です。 このような情報社会の中で、私たちは情報に対してすぐに感情的に反応するのではなく、立ち止まって深く思考し、神さま

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夜が明けるまでは
2026.03.15 「夜が明けるまでは」 ◎Ⅱペテロ1:12-21 「世界終末時計」が破滅へのカウントダウンを刻むように、現代社会は暗闇が深まっています。私たちキリスト者は、イエスさまによって「すでに」救われていますが、この世界は「いまだ」完成していない、いわば夜明け前の暗闇の中を⽣きています。しかし使徒ペテロは、滅びに向かうカウントダウンではなく、「希望の夜明けに向かうカウントダウン」を私たちがどう⽣きるべきかを⼒強く語っています。 ペテロは⾃分の死が間近に迫っていることを知りながら、決して恐れていませんでした。彼は⾃分の⾁体を「幕屋(仮住まい)」と呼び、その先にある「永遠の御国に⼊る恵み」を⾒据えていたからです。永遠の住まいが⽤意されているなら、古くなった仮のテントに執着する必要はありません。ペテロは、⾃分がこの世を去った後も、残される⼈々が「永遠の御国」という希望をいつでも思い起こせるようにと、命懸けで⼿紙を書き残しました。私たちの短い地上の⽣涯は、⻑く永遠に続く未来の希望を語り継ぐためにあるのです。ペテロは変貌⼭で、キリストの圧倒的

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流れ出る神の恵みの力
2026.03.08 「流れ出る神の恵みの力」 ◎マルコ5:25-34 マルコの福音書5章には、12 年間長血を患い、医者にかかっても直らなかった女性が登場します。彼女は、「あの方の衣にでも触れれば救われる」という、当時の誰にも思いつかないような、素朴で純粋な信仰をもってイエスさまに近づきました。すると、その瞬間に癒されたのです。 神さまは、私たちが抱くこのよう「素朴な信仰」に、今も豊かに答えてくださる方です。難しく考えず、ただ純粋に信じて神さまに近づくなら、神様は必ずあなたに寄り添ってくださいます(ヤコブ4:8)。 もう一つこの出来事で興味深いのは、イエスさまがご自身から力が流れ出たことに「後から気付かれた」という点です。イエスさまはただ歩いておられただけでしたが、信仰をもって触れた女性に対して、無意識のうちに神の力が流れ出ていきました。第一ヨハネ4章17 節に、「この世において、私たちもキリストと同じようであるからです」とあります。また、イエスさまは「わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、さらに大きなわざを行います」(ヨハネ14:

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人生を豊かにする信仰
2026.03.01 「人生を豊かにする信仰」 ◎Ⅱペテロ1:1-11 私たちの⼈⽣ を豊かにする信仰とはどのようなものでしょうか。ペテロの⼿紙から 3つのポイントで⾒ていきましょう。 第⼀に、「すべては神から発している」ということです。世の中の⾃⼰啓発は⾃分の努⼒から始まりますが、私たちの信仰やいのちは、⾃分の中から絞り出すものではなく、神さまから⼀⽅ 的に「与えられた」ものです。古い⾃分を外側から飾り⽴てるような偽りの豊かさや、物質的な渇望を⼿放す「霊的な断捨離」が必要です。不要なものを⼿放してできた新しいスペースに、神さまからの良いものが与えられます。真の豊かさは、すでに神さまから与えられている恵みに気づくことから始まります。 第⼆に、「神によって成り」です。世の中の⽬的は⾃分の能⼒を最⼤化する⾃⼰実現ですが、私たちの⽬的は「神さまのご性質にあずかる者となる」ことです。私たちは⽣まれながらに何かが⽋乏しており、この世のものを無機質に⾜し合わせようとすることで不格好な罪⼈の姿になってしまいます。しかし信仰から始まるものは違います。聖霊の

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宮きよめ
2026.02.22 「宮きよめ」 ◎マタイ2:1-17 エルサレムに⼊られたイエスさまが最初に向かわれたのは神殿でした。神殿は本来、神さまを礼拝し、⾃分の罪を告⽩してささげ物をする⼤切な場所です。しかし、お祭りの時期だった神殿で聞こえてきたのは、「ささげ物の鳩はいかがですか」「両替には⼿数料が必要です」という商売⼈たちの賑やかな声でした。当時の宗教のリーダーたちは神殿での商売を認め、そこから場所代などの利益を得ていたのです。これをご覧になったイエスさまは、深く悲しまれました。そして「わたしの家は祈りの家と呼ばれる。それなのに、お前たちはそれを強盗の巣にしている」と厳しく⾔われ、細縄でむちを作って(ヨハネ 2: 15に書いてありました)、商売⼈たちを追い出して宮をきよめられました。 その後、⽬の⾒えない⼈や⾜の不⾃由な⼈たちが集まってくると、イエスさまは彼らを癒やされました。⼦どもたちはその姿を⾒て「ダビデの⼦にホサナ(救い主イエスさま万歳)」と素直に賛美し、イエスさまも彼らの純粋な信仰を喜ばれました。⼀⽅で、⾃分たちの利益や⼈気を奪われた宗

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わたしの羊を飼いなさい
2026.02.15 「わたしの羊を飼いなさい」 ◎Ⅰペテロ5:1-11 ペテロの⼿紙第⼀の締めくくりとして「互いに⽀え合う教会の姿」を学びます。この⼿紙を書くペテロの脳裏には、ガリラヤ湖畔での鮮烈な記憶があったことでしょう。イエスさまが⼗字架にかかられる前夜、ペテロは⼤祭司の庭の「炭⽕」の前で、主を三度知らないと否認してしまいました。しかし復活の朝、イエスさまは湖畔で「炭⽕」をおこし、傷ついたペテロを責めることなく「わたしを愛しますか」と三度問いかけられました。三度の裏切りは三度の愛の告⽩によって上書きされ、ペテロは赦しと「わたしの⽺を飼いなさい」という牧会の使命を受け取り直したのです。 それから数⼗年が経ち、⽼境に⾄ったペテロは、苦難の中に散らされている信徒たちに⼿紙を書き、教会のリーダーである⻑⽼たちに、群れを⽀配するのではなく、⾃らの弱さを認めてキリストに従う「模範」となるよう勧めました。また教会全体に対しても「みな互いに謙遜を⾝に着けなさい」と語ります。教会とは、⼀部のカリスマ的な指導者が引っ張る組織ではなく、⼀⼈...

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みことばの礎の上に
2026.02.08 「みことばの礎の上に」 ◎ルカ6:46-49 イエスさまは「なぜ、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの⾔うことを⾏わないのですか」と問われました。当時、多くの群衆はイエスさまの奇跡や祝福を求めましたが、⼈格的にイエスさまに従おうとはしませんでした。 イエスさまは、みことばを聞いて行う⼈を「地⾯を深く掘り下げ、岩の上に⼟台を据えて家を建てた⼈」にたとえられました。イスラエルの⼟地は乾季、特に⼲ばつのような時には⻘銅のように固くなります。その固い地⾯を岩盤に当たるまで掘り下げる作業は、⼤変な労⼒と根気を要します。それはスポーツの基礎練習のように、地道な積み重ねです。 私たちの⼼もまた、⼤⼈ になるにつれ、⾃分の経験や世の価値観で固まってしまいがちです。 しかし、みことばを聞くだけで満⾜し、⾃分の考えという浅い⼟台の上に⼈⽣を建ててしまうなら、試練という「洪⽔」が来たときに脆くも崩れ去ってしまいます。かつてイスラエルの⺠が、神さまの⾔葉よりも⽬に⾒えるエジプトとの同盟を頼みとし、失敗したように、私たちも⽬に⾒えるものに頼り

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真実な創造者にゆだねよ
2026.02.01 「 」 ◎Ⅰペテロ4:12-19 ⼈⽣には時として、思いがけない「⽕のような試練」が襲います。しかしペテロは、「驚き怪しんではなりません」と語ります。それは神さまのご計画におけるエラーではなく、私たちを純⾦のように練りきよめるためのプロセスだからです。 苦しみには、⾁の罪によるものと、キリスト者としての苦しみがあります。後者は恥ではありません。私たちがイエスさまに従い、この世に「神の義と愛」という光を持ち込むとき、世の価値観との間に摩擦が⽣じます。私たちは世の安寧を揺るがす「特異点」であり、愛ある⼲渉者です。その摩擦による痛みは、私たちが天のいのちを宿し、正常に機能している証拠なのです。 また、「さばきが神の家から始まる」とは、愛する⼦らを最⾼傑作にするための神さまの熱⼼な取り扱いを意味します。「かろうじて(苦労して)救われる」という聖書の⾔葉には、曲がりくねった私たちを何とかして真っ直ぐにしようとされる、陶器師 なる主の深い愛の労苦が込められているように思います。 苦難の中で、無理に笑顔を作る必要はありません。煤(すす)だ

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救われたユダヤ人
2026.01.25 「救われたユダヤ人」 ◎ ローマ8:28 エステル記は、聖書の中で唯⼀「神」という⾔葉が⼀度も出てこない不思議な書巻です。しかし、そこには神さまのあざやかなご⽀配、すなわち「摂理」が⼒強く描かれています。 物語の舞台はペルシア帝国です。ユダヤ⼈の絶滅を企むハマンの悪巧みにより、⺠は絶体絶命の危機に瀕しました。 しかし、神さまは⼈間の⽬には「偶然」と⾒える出来事を紡ぎ合わせ、驚くべき逆転劇を⽤意しておられました。 孤児であったエステルが王妃とされていたこと、命がけで王の前に進み出た時に⾦の笏(しゃく)が差し伸べられたこと。すべてが神さまの時の中にありました。エステルの勇気ある⾏ 動を通して、ハマンがモルデカイのために⽤意した処刑台には彼⾃⾝が掛かり、ユダヤ⼈は救われました。悲しみは喜びに変わり、この逆転の勝利が「プリムの祭り」へとつながっています。 エステル記が私たちに教えるのは、たとえ神さまの名前が出てこなくても、神さまは沈黙しておられるわけではないということです。 使徒パウロは「神を愛する⼈たち…… のためには、すべてのこ

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終末の大掃除
2026.01.18 「終末の大掃除」 ◎Ⅰペテロ4:1-11 聖書は「万物の終わりが近づいた」と語ります。歴史のクライマックスを前に、私たちは何を整えるべきでしょうか。かつてイスラエルの⺠が「パン種(罪や古い性質の象徴)」を家から取り除いて祭りを祝ったように、私たちも魂の⼤掃除をして、新しい時を迎える備えをしましょう。 第⼀に、古いパン種を捨て、「させられる」⽣き⽅から「選び取る」⽣き⽅へと変えられることです。ペテロはイエスさまと「同じ⼼構えで⾃分を武装しなさい」と勧めます。イエスさまは、仕⽅なくではなく、私たちを救うために「⾃ら選び取って」⼗字架にかかられました。対して私たちは、「世間の常識だから」「断ると悪⼝を⾔われるから」と、周囲の圧⼒や欲望に流されて⽣きてしまいがちです。しかし、みことばは「過ぎ去った時は、もう⼗分です」と語ります。流される⽣き⽅に「もう⼗分だ」と宣⾔し、神さまの御⼼を主体的に選び取っていこうではありませんか。 第⼆に、掃除をして空いた⼼のスペースに、神さまのいのちを循環させることです。そこには「祈り」「愛」「奉仕」とい

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あなたがいてくれてよかった
2026.01.11 「あなたがいてくれてよかった」 ◎ マルコ2:1-12 中⾵の⼈をイエス様のところに連れて⾏った4⼈。彼らは、どうして我先にと⼀⼈でイエス様のところに向かわなかったのでしょうか? それは、「⼀緒に」「この⼈と」「この喜びを共にしたい」があったから。私たちにも、「⼀緒に」「この喜びを共にしたい」そう思って⼼に浮かぶ誰かがいます。皆さんにとってはそれは誰ですか? 5 節には、イエスは彼らの信仰を⾒てとあります。彼らの信仰、それは中⾵の⼈を「⾃分たちの⼒で」でも、「この医者のところに」でもなく、⾃分たちではどうすることもできない中⾵の⼈の癒しを願ってイエス様のところに運んだのでした。しかも、また今度ではなく、今この時にしがみついて屋根まで剥がしたのでした(4)。 それが彼らの⾏動に表された信仰でした。私たちも、⾃分ではどうすることもできないこともイエス様のところに運ぶものでありたいのです。このこと、あのこと、何より⼀緒にを受け取りたいあの⼈のために、今この時にと祈ること、声をかけ招くこと、愛することを諦めない者であリたいのです。も

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健全な良心は弁明する
2026.01.04 「健全な良心は弁明する」 ◎Ⅰペテロ3:9-22 掃除機が自分をファンヒーターだと思い込み、必死にモーターを回して熱を出そうとしても、部屋は暖まりません。私たちも「クリスチャンらしくあらねば」と、自分の努力で熱心さを生み出そうとして、ガス欠になっていないでしょうか。ペテロの手紙は、私たちが神さまに造られた本来の機能、すなわち「健全な良心」を取り戻す道を語ります。 聖書が語る「善(アガソス)」とは、重苦しい道徳的義務ではありません。それは、掃除機がスムーズにゴミを吸うように、神さまに造られた本来の機能が絶好調である状態を指します。つまり「本来の機能を発揮し」「役に立つ」という意味があります。健全さの回復は、神さまのなされる善いことに憧れ、惚れ込むことから始まります。まず「心の中でキリストを主」とする( 15 節)とき、罪で目詰まりしていた良心は 修理され、息を吹き返します。その回復の喜びが内からあふれ出る時、それは言葉による論破を超えた、最強の「弁明(証し)」となるのです。 また、「義のために苦しむ」ことも恐れる必要はありませ

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主は良い羊飼い
2025.12.28 「主は良い羊飼い」 ◎ヨハネ10:11-15 「わたしは良い羊飼い」というイエスさまのことばは、当時の人々にとって衝撃的だったかもしれません。当時、羊飼いは社会的に蔑まれた職業だったからです。しかし、主があえてこの名を名乗られたのは、遠く安全な場所から指示する支配者ではなく、私たちの罪深い泥沼の現実にまで降りてきてくださる神さまであることを示すためでした。羊は一度ひっくり返ると、自力では起き上がれません。人生の重荷に倒れ、動けなくなっている私たちのすぐそばまで、イエスさまは来てくださり、命を捨てて救い出してくださいます。本来の「良い羊飼い」という称号が示すのは、神さまご自身であるということです(エゼ34 章ほか)。主は私たちを「知って」おられます。それは単なる知識ではなく、深い人格的な結びつきです。誰にも見せられない心の闇や弱さのすべてを知り尽くした上で、なお私たちを愛し、受け入れてくださ るのです。この安心感があるからこそ、ダビデのように「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」と告白し、魂の平安を得ることができるの

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道~約束の王を求めて
2025.12.21 「道~約束の王を求めて」 ◎マタイ 2:1-12 二千年前、星に導かれ「約束の王」を求めて旅をした東方の博士たち。彼らの姿は、真理の「道」を渇望する私たちの歩みを象徴するかのようです。博士たちは、この世の安住に留まらず、天の導きを求める「霊的な旅人」でした。私た日本人が持つ「どこかに真理があるはずだ」という敬虔な信心は、神さまが備えてくださった素晴らしいポテンシャルです。ひとたび真実の王であるイエスさまに出会いさえすれば、その信仰は人生を根底から変える大きな力となるに違いありません。 対照的なのは、当時の宗教指導者たちです。彼らは救い主誕生の「知識」を持ちながら、実際には一歩も動きませんでした。「ろばは持ち主の飼葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らない」(イザヤ l )とのみことば通 り、彼らは知識に慣れ、自分の地位を守ることに汲々として主を拒絶したのです。 博士たちは幼子を見出し、ひれ伏して礼拝 し、黄金、乳香、没薬を捧げました。没薬は後に十字架で死なれる主の受難の予兆でもありました。本来の民が拒絶した恵みを、異邦人

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神があなたのために歌う理由
2025.12.14 「神があなたのために歌う理由」 ◎ゼパニヤ3:14-20 降臨節第3 週は、教会の伝統において「喜び」をおぼえる週です。ゼパニャ書3:14-20 は、罪と混乱、不安に満ちた時代に生きる民に向かって、「歓呼せよ、喜べ」と呼び‘かけます。この喜びは一時的な感情ではなく、主が刑罰を取り除き、王として民のただ中に来てくださるという、揺るがない事実に根ざしています。この約束は、イエス・キリストの降誕によって成就し、「インマヌエル(神は私たちと共におられる)」が現実となりました。神は私たちを喜び、愛をもって新しくし、歌って喜ばれるお方です。 この喜び‘は、恥を誉れへと変え、弱さや孤立の中にある者をも回復へと招きます。 クリスマスは、破れた世界のただ中に、主が来てくださったことをおぼえる時であり、状況を超えて与えられる喜びに生きるよう私たちを招いています。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・エミリー宣教師>

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