裸の王様
2023.04.02
◎ルカ23:32~38
先日行われた中高生キャンプのテーマが「裸の王に俺はなる!」というものでした。人気漫画『ワンピース』の主人公ルフィのセリフ「海賊王に俺はなる!」をもじったものでしょう。けれども、「裸の王」と言うと、童話『裸の王様』も思い出されますし、キャンプ委員会の意図や如何に?と思いつつ参加しました。講師のメッセージによりわかったことは、裸の王とは、イエスさまの十字架のお姿のことでした。十字架の凄まじい痛みと苦しみについては何度も説教などで聞かされたことですが、その恥辱と汚れについても解き明かされました。文字通りに全裸で、そして「これはユダヤ人の王」という罪状にて十字架にかけられたのです。私たちの受けるべき痛みと苦しみを身代わりに背負い、罪のないきよい神の御子が、私たちの罪の汚辱にまみれた姿で十字架にかけられたのです。そのような中でイエスさまが発せられたみことばの一つは「父よ、彼らをお赦しください」でした。自分を苦しめ痛めつけ辱めた人々のために、その罪の赦しを祈られたのです。なんという愛でしょうか。そのような神がほかにあるでしょうか。このことを初めて聞いたとき私は驚愕しました。そしてその時からイエスさまは私のヒーローになりました。また、「彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」とも言われました。裸の王様は自分がどんなに愚かなことをしているか分かっていない、それでいて自分は賢いと思っている、そんな滑稽な姿を描いた物語です。同じ時に十字架にかけられた強盗の一人はイエスさまを罵りました。まさにそこに神への叛逆を罪と思わない罪人である私たちの姿があります。イエスさまの十字架の愛に感動し、罪を悔い改めて、洗礼を受けた高校生の頃の私ですが、神の御子が死ななければならないほどに人間の罪は重いのだと観念的に理解しただけで、他の誰でもない自分自身の本当の愚かさ、醜さ、罪深さが身に染みてわかったのはそれから先のことでした。この私のためにこそイエスさまは十字架で死なれたのです。裸の王様のような私のために身代わりとなられ、罪なきイエスさまが罪の汚れと、神のさばきである十字架の痛みと苦しみを引き受けてくださったのです。まことの王であり、神である主イエスの愛に感謝して、悔い改め、神のもとへ立ち返りましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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