「天に昇ったイエス様」
2023.04.30
◎使徒1:3~14
一度は絶望してしまった弟子たちですが、復活のイエスさまに出会って希望を取り戻しました。その希望は、メシアとしてイスラエル国を復興してくださるのではないかというものでした(6節)。しかし、イエスさまはそのことには言及されず、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受け…わたしの証人となります。」(8節)と語られました。聖霊で心が満たされること(聖霊のバプテスマ)と、その結果、イエスさまの復活の証人となることが約束されたのです。そう言ってからイエスさまは弟子たちの見ている前で天に昇って行かれました。あまりに不思議な厳かな光景に言葉を失い突っ立っていると、白い衣を着た人が二人そばに立ち、イエスさまは「同じ有様で、またおいでになります」と告げら れました。そこで使徒たちや他の弟子たちはエルサレムのとある家の上の階にみな集まり、熱心にイエスさまの約束のときがくるのを待ちました。御使いが言われたように、イエスさまがもう一度来ることを待っていたのか、イエスさまが言われたように聖霊が降るのを待っていたのか、とにかく、神さまの御心が成るのをひたすら祈って待っていたのではないでしょうか。イエスさまはどうして天に昇る必要があったのでしょうか。イエスさまは今、雲の上に、宇宙にいるのでしょうか。そうではありません。弟子たちの前から見えなくなるということが必要だったのです。目には見えないけれども今生きているイエスさま、イエスの御霊を信じる必要があるからです。それからは、御霊とともに歩むことになるからです。そして、イエスさまが命じられたように聖霊を待ち望み、聖霊に満たされて、イエスさまの証人としての働きをする必要がありました。イエスさまの証人となるということでは、自分の力だけではできないことです。聖霊によるのでなければ誰もイエスを主と呼ぶことはできません。説得力のある話や親切な取り扱いだけで人が救われるのではなく、聖霊が臨むときに受ける力が必要なのです。弟子たちは、イエスさまの昇天を見せられることによって、主はまたもう一度来られるということを強烈に覚えさせられました。それは神にしか成し得ないことです。そして主イエスは神であり、この天と地を作り変えて、新しい天と地をもたらしてくださるということを弟子たちは信じて宣べ伝え、主の証し人となりました。私たちも聖書を通して、また歴代の証人たちの証しを通して、この信仰を受け継いでいます。主が来られる日まで私たちも証し人として、聖霊に導かれて歩んでまいりましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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