「目よりも心を見てくださる神」
2023.05.14
◎Ⅰサムエル16:1~13
★神の配慮、言わない知恵★ 主なる神ご自身のために見出された王・ダビデ。神を退ける民のわがままをあえて許容され選ばれた王・サウル。ある意味サウルは犠牲者だった とも言えます。それはそうと、サウルの心は神から離れ不安定です。そんなサウルに、新しい王を迎えに…なんて言った日には殺されると、恐れるサムエルに、神は新たな知恵を授けます。つい恐れるな!と言ってしまいがちですが、信仰は方程式ではありません。瞬間瞬間の神さまとその人との生きた交わりによって新たに導かれ続けることが大事です。相手の心を十分知らずに、無慈悲なことを言う私とは違い、神は、サムエルの心に寄り添い、脆いサウルの心にも配慮し、神経を逆なでることはなさらないのです。正直に言わないことは、嘘ではなく、神の愛の配慮です。この神の知恵は、さらにダビデの父エッサイとその息子たちを招くにも最善でした。なんでもかんでも正直に言う事よりも、神の願いに従う事が私たちの祝福なのです。神はいつも、私たちに最善をしてあげたいと願われているからです。 ★目を見る人間、心を見る神★ ダビデを見出した神は言われます。『人はうわべを見るが、主は心を見る。」』(7節)神が言われる人の価値は『高価で尊い』と変わらないのに、私たち人間は、見た目の受ける印象や感覚で、その人の人格を思い描き、うわべでその人の価値を見積もってしまいます。直訳では、“人は目を見る”と言われています。なるほど、ことわざには「目 は口ほどに物を言う」とあり、また目は嘘をつかないと人は言います。あるいは、相手の目を見て何かを読み取ることもあるかもしれません。しかし、心と心が触れ合うまで真意は分りません。私たちは神ではないからです。神は、私たちが相手の目を見て、相手の心をまるで把握したかのように、高ぶることがないように、そう教えておられます。 ★心と心の交わりを大切に★ 全知全能の神でさえ、私たちのうわべや目を見て判断はされません。心に直接触れて知ってくださるお方です。私たちも神に祈るとき、私の目を見れば何も言わなくてもわかるでしょう?とは言いません。そんな私たちが、人に“話さなくても目を見ればわかる”と思うことは、傲慢でしかありません。私たちの常識を超えて働かれる神の謙遜と柔和な心を養われていきたいと願います。目を見て語り合い、心と心の交わりの中にこそ、神さまの愛がより鮮やかに現われ働かれると信じます。日々出会う人と人との交わりが、神の愛の心で導かれ、神の素晴らしさが証しされますように、ともに祝福をお祈りしてまいりましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・森田学師>
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