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執筆者の写真みたまキリスト教会

「行いに応じて報いる神」

2023.08.06



◎黙示録2:18~29

「行いに応じて報いる神」と聞くと、ただ信仰のみによって救われるのではないのか?という思いが浮かぶかもしれません。その場合、「救い」と「報い」が同じ意味に捉えられているのかもしれません。「報い」には良い報いも悪い報いもあります。良い行いをした人には褒美(家内安全商売繁盛学業成就のような)が与えられて、悪い行いをした人には天罰(病気や災難)が与えられるのでしょうか。それは因果応報の考え方で、聖書のメッセージとは異なります。今日はティアティラの教会に送られたイエスさまからのメッセージです。ほめられるべきところは、行いにも、愛と信仰と奉仕と忍耐にもすぐれていたところであり、なおかつそれが初めの頃より成長していたことです。イエスさまは「燃える炎のような目を持ち」私たちのことを熱い情熱をもってよく見て知っていてくださるということがわかります。また責められるべきところもありました。イゼベル(旧約の人物でアハブ王の妃、イスラエルにバアル崇拝を持ち込んだ)に例えられる女が、教会のなかで預言者を自称し間違った教えを流布するのをさすがままにさせているというのです。その結果、信仰深く愛にも熱心な教会が偶像崇拝の罪に陥ってしまったのです。二つの別のグループのことなのか、同じ人々の二面性なのか、どちらにしても主イエスにとっては悲しく憤りをおぼえることでした。「わたしは悔い改める機会を与えたが…」彼らは悔い改めませんでした。イエスさまは悔い改めの機会を与えてくださる忍耐深いお方であることがわかります。人は 2種類に分けることができます。神に向かって悔い改める人と、悔い改めない人です。悔い改めるというのはただの後悔や反省ではありません。神に向かってとしたように、神さまへの不従順をやめ、神さまに向き直ることです。そうすれば誰でも主イエスの十字架の犠牲と復活により、赦されるのです。しかし「その足は光り輝く真鍮のような神の子」はその足で、悔い改めない者、その背後にいるサタンの頭を踏み砕くお方です。私たちにできるたった一つの最高の良い行いは、熱心になって神に向かって悔い改めることです。そうすれば聖霊に満たされ、その働きの邪魔をすることなく、私の言動を通して神の善が表されます。そのような生涯は最高の良い報いと言えるでしょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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