お金との付き合い方
2022.06.26
◎ルカ16:9~18
聖書は私たちの生活の幅広い領域にまで言及していて、生きる上での指針を与えてくれています。お金との付き合い方とは、結論から言うと、金銭を愛してはならないということです。前回からの不正な管理人の譬え話の続きからですが、「不正の富で、自分のために友をつくりなさい」とあります。何も悪事で得たお金を賄賂にして友を作れということではありません。不正な富とは何かというと、金銭一般のことです。金は天下の回りものと言いますが、その過程で人間の罪によって何かしらの不正が入り込むものだとして、そういったこの世の富をもって、良いことに用い、隣人に仕えなさいということです。この世の富というのは取るに足りないような小さなものであって、小さなものを神のみおしえに対して忠実な態度で用いるなら、天の御国においては大きな富を任せられることになるのです。もし、金銭を愛するようなことでもあるならば、必ず神を軽んじるようになります。人は二人の主人に仕えることはできないとイエスさまは警告されました。しかし、パリサイ人たち始め、当時のユダヤ人たちは、神に愛されているからこそ富にも愛され、豊かになれるのだと考えていました。だからこそ、パリサイ人たちはイエスさまの話を聞いて嘲笑ったのです。律法をイエスさまが短く要約されたことは、神を愛し、自分を愛するのと同じように隣人を愛することでした。しかし、パリサイ人は律法を歪めて偽善的な行いによって神からの祝福を得られるとしていました。誰もが力ずくで天の御国に入ろうとしていると言われたのは、頑張って神の国を目指して走っているということではなくて、力ずくで律法を自分の都合に合わせて捻じ曲げてでも天国に入ろうとすることです。その象徴的な例として離縁や姦淫の教えが挿入されます。唐突な印象もありますが、13節に対応したものではないでしょうか。つまり、しもべと主人の間に二心がないように、ましてや夫婦の間に二心はありえないのです。キリストの花嫁である教会が、神を愛していると言いながら、富という偶像をも愛することなどありえないのです。神の恵みでさえも偶像になりえます。真の恵みとは十字架を思うことです。生活にお金は必要です。しかし、もっと大きな夢、御国の建設に投資するなら幸いな人生です。神を愛して真の経済的自由を得ましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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