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きよさのなかで和む教会

  • 執筆者の写真: みたまキリスト教会
    みたまキリスト教会
  • 5 日前
  • 読了時間: 2分
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2025.07.20

「きよさのなかで和む教会」

◎レビ19:1-4

先週の創立記念礼拝では、「きよさのなかで和む教会」ということで、レビ記が示す「聖なる」ことの意味を探り求めました。レビ記は一見、私たちから遠い専門書のように感じられるかもしれません。しかし、そこで繰り返し語られるのは、「あなたがたは聖なる者でなければならない。あなたがたの神、主であるわたしが聖だからである。」という神の呼びかけです。「聖なる」とは、人間的な営みである「俗なるもの」と完全に分離している状態を指します。私たち自身の力ではこの基準に達することは到底できません。レビ記は、病や死に関することを「儀式的な汚れ」としています。神のみこころである生殖に関わることでも、命(経血や精液など)が地に落ちることから「汚れ」状態とされ、一時的に神の臨在から遠ざけられました。また、異教の風習を真似てはならないという「道徳的なきよさ」について記されているとされる、性的逸脱についての記述(18章)は、文脈を正視するなら、当時の異教文化(神殿娼婦や神殿男娼、子どもの人身御供等)との分離を教えたもので、現代の同性愛者を徒に苦しめるためのものではありません。同性愛指向や性別違和、性分化疾患等、その仕組みはわからないことがたくさんあります。わからないことについては謙虚である べきです。「私は正しい」という偶像を捨てなければなりません。聖書は他人を裁くためではなく、自分自身を深く省みるためにあるのです。それでもなお、「聖なる者でなければならない」という言葉におそれを感じる私たち。しかし、ヘブル10章10節は語ります。「イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています」。私たち自身の判断に間違いがあったとしても、イエスさまの十字架のみわざによって、私たちはすでにきよくされている のです。この主のくださるきよさの中で、私たちは安心して和むことができます。日々の選択においても、イエスさまにフォーカスを当て、神の導きを信じて歩んでいきましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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