とどまれ、神の愛に
2023.09.03
◎ 黙示録3:7~13
フィラデルフィアの教会へのメッセージです。「兄弟愛」という意味を持つこの小さな町の小さな教会は、主から称賛を受けますが叱責はありませんでした。彼らの住む町はデュオニソス(バッカス)を神とする町で異教の中で、まことの主を礼拝していました。また、「サタンの会衆」と主から言われてしまうユダヤ人たちからの迫害もありました。主イエスは、聖なる方であり、真実な方であり、ダビデの鍵を持つ方と言われます。ダビデの鍵は王宮の宝物庫の鍵としてイザヤ書に出てきます。財宝よりも尊い、いのちの冠が天の宝物庫にはあるのです。フィラデルフィアの人たちは迫害の中にあっても信仰を捨てなかったので、彼らの前には決して閉じることのない、いのちの門が開かれたのです。しかし、フィラデルフィアの教会は「少しばかりの力があって」とあるのです。他の訳では、「少しの力しかないのにもかかわらず」とも言われています。少しの力でも、十字架のイエスさまの忍耐を思い出し、イエスさまのことばを守って信仰を捨てなかったのです。少しの力で忍耐した、自分にできる精一杯のことをしたのです。それだけでよかったのです。イエスさまのことばとは、互いに愛し合いなさい、愛し合う姿を通して神の栄光を表しなさいということでした。兄弟愛をもって互いに愛し合っていたのです。そんな彼らの前にサタンの会衆と言われたユダヤ人たちもやって来て彼らの足元にひれ伏し、主イエスに回心すると約束されました。神が異邦人もユダヤ人も隔てなく愛しておられ、ともに神の民としてくださることをユダヤ人は知るようになるのです。また、そうしていのちの冠を奪われることのないように、信仰の試練にあっても神さまは守ってくださるというのです。それも全世界的な試練においても守ってくださるというのです。ですから、そのみことばの約束に信頼し、神さまの愛を疑わずに、神さまの愛にとどまることで、信仰の試練を乗り越えましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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