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執筆者の写真みたまキリスト教会

ともに携わる働き

2023.12.10



◎ ピリピ1:1~11

『私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。』牢獄という苦難の中にいるパウロから出てくる言葉は、なんと神への感謝と喜びです。喜びの書と呼ばれ親しまれているピリピ書を通して、私たちが感謝と喜びにあふれ、日々イエスとともに生きる力をいただきましょう。なぜなら、サタンは、忙しい毎日を送る私たちから、喜びを奪い取ることを狙っているからです。さて、獄中のパウロの“喜び”は、イエス・キリストの救いが世の人々へ伝えられていくことです。それも、最前線で働くパウロやテモテの働きだけではなく、送り出す側、ピリピ教会の働きも尊いものであると言うのです。

パウロは、ピリピ教会の惜しみない働き、献げ物に神の愛を見て、感謝します。パウロたちが、福音を知らせ霊的な良い物を与え続けられたのは、聖霊はもちろんのこと、その背後では、ピリピの教会の人々が神様に促され、パウロに必要な物理的なすべてのものを与え続けていたからでもあります。これはまさに、恵みの連鎖です。神の愛によって、お互いが励まし合う時、信頼が育まれ、一つとなっていくのです。そしてついには、一人ひとりが、福音を伝える器としても、建て上げられていく、という希望が14節で証しされています。パウロの投獄を知り、私たちも投獄されるかもしれない…と尻込みしていたかもしれません。しかし、イエスの福音がますます広がっている神のみわざに感謝して、喜びあふれるパウロの証しを通して、初めはパウロを支援する形で、伝道にともに携わっていたピリピの人々が、いつのまにか、一歩外へ踏み出していくことになるのです。

そんな、二つの意味で、私たちは共に働き、福音を伝える者であると聖書は言います。私たちは、立場も、賜物も、日々遣わされている所も違いますが、だれもが神様の働きに携わる者であります。福音の前進を共に求め祈り、担い合うことは、神の栄光を現すことにつながります。また、独りで頑張るのではなく、互いにというところを通して、さらに愛は成長していくのです。人と交わるときに愛が試されるからです。愛とはただ感情の面だけではなく、知識とあらゆる識別力と、大切なことを見分けることに関係しているのだと神様は言われます。私たちが神の愛を土台に、ともに励まし合う、その中心におられる神様が賛美され、人々が、その栄光の主を見るようになるという希望を与えられていることを感謝します。<みたまキリスト教会日曜礼拝・森田学師>

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