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執筆者の写真みたまキリスト教会

バベルの塔

2023.06.25



◎創世記11:1~9

ノアの方舟の時代から、時は経ち、地に人々が増え始めました。この頃、人々は一つの言語を話していました。そして画期的な発明がありました。煉瓦と瀝青(アスファルト)です。それらを使うと頑丈でどこまでも高い建物を建てられることを発見したのです。技術の進歩や向上心を否定するわけではありませんが、本人たちも気付かぬうちにか、神に近づくことができると思い上がってしまったのです。サタンは元々御使いでしたが、神の位置にまで高みに近づこうとして堕落したのです。神は、地上の人々を見られてご決断なさいました。「見よ。彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない。さあ、降りて行って、そこで彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。」(6、7節)人々の言葉はそれで通じなくなり、バラバラの多言語となった彼らはそれぞれに別の地域に広がっていきました。ヘブライ語「バラル」は混乱するの意です。またの呼び名をバベルあるいはバビロンというので、この地はバベルと呼ばれるようになりました。結果的には、産めよ。増えよ。地を満たせ。という神のみこころの通りに、世界のすみずみまで人々が満ちていくようになっていったのです。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる。」(ペテロの手紙第一5:5)人々が散らされたのは、人々が高ぶった からでした。先の6、7節のみことばは、今やイエス・キリストの贖いと聖霊の注ぎによって回復されようとしています。伏線回収のように、一つの神の民となり、言語こそ違えど、信仰による一致によって、神の栄光を表すためには不可能なことは何もないようになったのではないでしょうか。へりくだって神の栄光を求めていくなら、一つの信仰、一つのバプテスマ、一つの聖餐によって、神の御国をどこまででも広めていくことができるのです。技術の進歩も向上心も自己実現のために用いるのではなく、神の御国の実現のために用いていくなら、神さまは喜んで恵みを与えてくださるでしょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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