三つで一人の神
2023.06.04
◎ Ⅱコリント13:13
聖書の神さまは三位一体の神と言われますが、その言葉自体は聖書の中にあるわけ ではありません。しかし、神が三つの位格を持ちつつ唯おひとりの神であることは、聖書が証ししていることです。三位一体とはどういうことなのか、聖書から見てまいりましょう。「三位一体の盾」という有名な図式があります。父と御子はイコールではなく、御子と聖霊、聖霊と父もそれぞれ別の位格です。しかし、父も御子も聖霊も神であられます。一人の神の中の三つの位格がその時々に応じて使い分けられるのではありません(様態論の否定)。けれども神が三人おられるわけでもありません(三神論の否定)。これは、私たちには理解しきれないことであります。もし神をすべて理解することができるのなら、神は人間にも作れることになります。神は捉えきれないほどに大きいのです。三つの位格を持つ神さまは、交わる神さまです。御父は御子を愛し、御子は御父と祈りのうちに親しく語り、聖霊は御子を証しします(ルカ3:22ほか)。私たちは互いに愛し合う三位一体の神の交わりの中に招かれているのです。そのように神と交わることが礼拝の本質です。父を礼拝する真の礼拝者は真理(イエス)と御霊によって礼拝するとある通りです(ヨハネ 4:23,24)。御父は「年を経た方」という聖書の記述から老人の姿で描かれることがあります。御子は人々の前に見える形で来られました。聖霊は鳩のようであったり、炎のような分 かれた舌のような、さまざまな形で臨在されました。聖霊は私たちが使役できるような「力」ではありません。位格であり、「お方」です。聖霊によって私たちは自らの罪深さを知り、救い主がイエスさまであることを知るのです。聖霊は求める者には誰にでも与えられ、内側に住んでくださいます。三位一体は一体全体どういうことなのか。正解は「よくわからない」です。聖書に書いてある範囲でしか捉えることができませんが、それでも私たちに愛と希望を与えるには十分です。神についての議論に拘泥すると教会の交わりは冷たいものになります。生きて私たちとともにおられる神の体温を感じられるような教会でありたいものです。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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