世に来られた救い主
2022.12.18
◎マタイの福音書1:18~25
ルカの福音書ではマリアの側から、マタイの福音書ではヨセフの側から、それぞれ受胎告知の場面が描かれています。ヨセフとマリアは婚約していましたが、二人がまだ一緒になる前に、妻になるはずの女性がすでに身ごもっているというのです。もちろんヨセフ自身には身に覚えのないことですから、他の男性との間の子に違いないと思ったでしょう。マリアから御使いの言葉を聞いたかもしれませんがにわかには信じがたく、苦し紛れの嘘にさえ聞こえたかもしれません。愛していたのにひどい裏切りです。そしてまた、そんな婚約者を誰が犯したのかという憤り。アブラハムが子をささげる苦しみを味わったように(実際にはそうならなかったが)、預言者ホセアが妻に何度も裏切られたように(これは実際に経験させられた)、神が味わった痛みをヨセフもほんの少しだけ味わったことでしょう。愛していた者に裏切られる痛み、婚約者を汚した罪と悪魔の力、それに太刀打ちできない人間の罪深さへの憤り。その時、ヨセフは怒りに任せて妻を晒し者にして、裁きを受けさせることもできましたが、そうすることをよしとせず、マリアとお腹の子どもの安全のために内密に離縁することを選びました。後で身勝手に離縁したのはヨセフの方だと誹られることも覚悟の上だったでしょうか。次の日、目が覚めたらそうしよう、そのうちに眠ってしまったヨセフのもとにも御使いが現れ、マリアと同じように受胎告知がなされます。アブラハムがイサクにまさにナイフをふりおろそうとする直前に止められたように、ヨセフも実行に移す前に神のご計画を知らされました。夢の中で、これはイスラエルに対してなされた預言の成就であると告げられました。ヨセフ自身もちろんイスラエルの民、しかもダビデの家系ですから、ずっと救い主が世に来られるのを待ちわびていました。ついに来られる。しかも自分たちの家庭に生まれ、救い主を養育するという光栄な使命に与るのです。その名は「イエス」主は救いという意味、またの名を「インマヌエル」神が私たちとともにおられると呼ばれる、その方をお迎えするのです。目が醒めたヨセフは、怒りと悲しみから喜びと平安へと一気に変えられたでしょう。(そしてマリアに疑ってごめんなさいをしたでしょうか?)御父は私たちの罪と裏切りを受けながらも、私たちを滅びるままにさせず、十字架でご自身のいのちをもって私たちを救ってくださいました。そしてインマヌエルの神として今、悪魔の試みを受ける時も、試練の只中でも、私たちを強め、共に歩んでいてくださいます。感謝します。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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