主を慕い、主に立ち返る
2022.11.13
◎Ⅰサムエル記7:1~6
目には見えないけれどイスラエルの民の真ん中におられ(臨在)、あなたを見放さず見捨てないと言われる恵み深い神を思い起こさせるため、神が与えた契約の箱。それが元あるべき場所に戻ると、彼らは見えるカタチに満足し(偶像礼拝)、肝心な神との交わりに無関心となります。気付けば20年、焦り始めます。強大な敵ペリシテ人がずっと目の前にいる。どうしたらいいの、神さま。心の底から主を恋い慕い取り乱して叫ぶ、神への飢え渇きが湧き起こります。聖霊の助けによって。神を求めた時、サムエルを通し、再び神の声が聞こえるようになります。神は、20年間の怠惰を責め立てはせず、先ず人が神に心を向けることを喜ばれ招かれます。放蕩息子を抱きしめる父の姿を思います(ルカ15章)。彼が神から離れ、好き勝手に生き、失敗し全てを失い、泥まみれの豚の餌すら食べたいほど、心身渇き切って人生終わったその時、父の所には美味しい食事ある…と、心を神の方に向けた瞬間(悔い改め)、神との関係の修復が始まります。罪を覆う神の愛によって、罪は赦され手離されるのです。今、神よりも神のように握っているものがあるでしょうか。3節『…心のすべてをもって主に立ち返るなら、…異国の神々…を取り除きなさい。』と言われます。この世の荒波から助けてと叫びながら、この世が拝んでいる神々、何か他のモノや人に頼る、それは虚しいです。私たちがこれらの罪を手放せるのは、イエス・キリストの十字架の贖いによってのみです。神の愛によって神との関係が回復すると、民たちは励まし合い共に集まり、神に祈ります。すると神は祈りに応え、武力でもイスラエルの力でもなく、雷鳴によって勝利をもたらします。私たちの毎日も霊的戦いの日々です。悪への誘惑、信仰をくじかせようとする妨害、葛藤。『悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく…堅く立ちなさい』(エペソ6章11~)。戦うために必要な武具を備え、敵と闘ってくださるのは主です。何一つ主によらないものはありません。主だけが罪と死と悪魔に勝利されたからです。神の武具に私たちからも手を伸ばし、受け取り、身につけさせていただきましょう。神は祈りに応え、神の大能の力によって堅く立たせてくださいます。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・森田学師>
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