人生の鍵を握るのはあなた
2022.03.27
◎ルカの福音書13:22~30
今日の箇所と関連箇所として挙げた黙示録3:20とは共通点があります。戸の外に立って叩き中の人に開けて招き入れてもらうということです。黙示録の方で、戸の外に立って叩いているのはイエスさまです。外側には把手のない扉を叩くように、中の人に呼びかけ開けて招きいれてもらうのを待っているのです。そうして、招き入れるのならば、イエスさまはその家の中に入り親しく一緒に食事をするのです。しかし、このルカの福音書では立場が逆転しています。戸の外に立っているのは私たちの側です。しかし、主人は戸の外の者に向かって、お前たちのことなど知らないというのです。私たちはイエスさまのことを知っています、面前 で食事をしました、教えも聞きましたと答えますが、主は知らないと言われるのです。心の中心にイエスさまを迎え入れて、イエスさまと親しく食卓を囲むほどの関係にはなっていないというのです。面前にいながら知らない、声を聞きながらそれでも知らないということがあるのです。それほどに「知る」という言葉は深い交 わりを表す言葉です。イエスさまが語られた「狭い門」とはどういうことなのでしょうか。天国はからし種の生長やパン種の膨張にたとえられ、大きく膨らむのだと直前で語られました。しかし、狭き門の話をされました。これは超難関大学受験のような、入ることの難しさを示しているのでしょうか。道徳的に完全なきよさを示し、誰からも尊敬される人格者となり、すべてのことをちゃんとできる人でないと神の国には入れないということなのでしょうか。狭い門から入るように「努めなさい」というのも競技アスリート的な努力を指している言葉です。マラソン競技にはゴールの時限があります。狭い門とは閉じかかって狭まっている門のことではないでしょうか。完全に閉まってからでは、入ろうとしても入れないのです。神さまは私たちにさまざまなものを預けて旅に出ておられる、そういうたとえが多くあります。今は門の鍵を私たちに預けて旅に出ておられます。戸の外に立って叩くイエスさまを迎え入れるかどうかは私たちの選択にかかっています。主を迎え入れて幸せな生涯を送ることを選ぶ力と権利をあなたは握っているのです。神にお会いできるうちに立ち返りましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
Comments