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執筆者の写真みたまキリスト教会

今日御声を聞いたなら



2021.05.09

◎ヨハネ5:1~14

今、イエスは、38年もの間病気にかかっている人に目を留め、出会われます。イエスに「良くなりたいか。」と言われても、「主よ。…池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」と自己弁護。歩けるのに諦めてしまう。誰かがしてくれないから治らない。私は悪くない。癒やされようともしない。38年間もです。他の病人たちも、憐れみの心は無く、彼を無視して泉に入ります。誰もが体の病だけではなく、霊的な病にかかっていたのです。そんな絶望と、無気力と、愛の無い虚しい人生が、たちまち変わる時が訪れます。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」イエスの御声を聞いたなら、そのときが救いの時です。神様との出会いの時です。「すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。」私たちも心が探られます。神様の真実なことばに、心が露わにされ、自分の弱さを初めて見ます。弱さを他人に擦り付け生きていたことが罪と気付き、今、自分の弱さに向き合うことができたのです。そして、罪を告白し、向きを変えて歩き出しました。迷うことなくイエスの言葉を受け容れるなら、私たちも同じ様に変えられるのです。十字架で命を差し出してまで愛してくださるイエスの御声を聞いて、迷わず従うその瞬間、聖霊が離れる決心も勇気も力も与え、私たちを創り変えます。私たちの思考、性格や人格、生き方さえも根底から変えることの出来るのは、人の名言でもなく、人の知識でもなく、ただ、神の御声だけです。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」彼にこんな長い間、悪習慣があったということに関心がいきがちですが、イエスにとっては、罪からの解放、救いは一瞬です。時を創られた神は、時間には囚われないからです。私たちは、過去の自分にいつまでも囚われていても何も生み出されません。今この瞬間が大事なのであり、今がイエスの御声を聴くときです。(森田学師)

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