創造主の愛と人の罪
2023.10.01
◎創世記2:18~25
日本国民の幸福度は137カ国中47位だそうです。G7のうちでは自殺者数がワーストだそうです。日本国民はなぜ幸せだと感じられないのでしょうか。そこには魂の軽視、霊性の軽視があるのではないかと思います。キリスト教会がその使命として人々に伝えたいことは、人は神に愛されていることを知った時に初めて本当の平安と幸福を得るのだということです。そこには宗教勧誘目的の野心などは毛頭ありません(本来言うまでもないことですが時勢的にあえて言及しました)。人生の諸問題の解決の鍵はすべてイエス・キリストの福音(良き知らせ)にあります。人は自分の生まれてきた意味や、生かされている意味が分からなければ幸せを見出すことも難しいでしょう。聖書は神が人を造られたと言います。「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息(別訳「霊」)を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった」(創世記2章7節)。土くれから造られた人の形をしたものに、神さまの霊が吹き込まれてはじめて人は生きものになったのです。ですから私たちのうちには神の霊が宿っています。それが魂とか霊性というものです。さらに霊性とは「神は人をご自身のかたち(性質)として創造された」(創世記1章27節)とありますから、すばらしい神さま、聖なる方であり、愛であり、正義である方の性質にそっくり似せられた存在なのです。それが私たちの本質、霊性を持った人ということなのです。ですから神さまに似せて造られた私たちは、神さまのように聖なる者として生きたい、愛を与える者として生きたいという本来的な願望があります。ところが、その通りには生きられない弱さを持っています。それは人が神さまから離れて生きるようになったことで始まった「罪」のゆえでした。人が自分の作品に愛着を持つ、それ以上に神はご自身の造られた人に多大なる愛を注いでおられます。掛け値なしに愛してくださいます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節)。何かができるかどうかではなく、存在そのものを愛してくださるのです。だから私たちは生きていて良いのです。神の愛から彷徨い出た私たちに、イエスさまは帰って来て欲しいと懇願しておられす。イエスさまの招きに応じて、神のもとへと帰りませんか?<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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