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執筆者の写真みたまキリスト教会

取るに足らない者を用いる

2023.06.11



◎Ⅰサムエル17:1-11

★神の計画に無駄はない★ 生きていると、自分なんている意味があるのか、今していることに意味があるのか、悩み苦しむことがあります。末っ子なのに、ダビデは家族から存在を忘れられ、取るに足らない者として扱われます。人知れず羊を飼っていたダビデは、父に使いっパシリを頼まれ、兄たちのいる戦場に図らずもやって来ます。(17、18節)兵糧のあるはずの陣営に、弁当を運ぶ意味があるのだろうか?と思うかもしれません。ところが、私たちの目に無意味と思うことが、実は、神にとって重要な意味があるのです。その時、巨人ゴリヤテは凄まじい圧力で神の民をけなし続け、誰もが怯え、逃げてしまいます。そんなイスラエルのピンチに、神が遣わされたのは、誰からも見向きもされなかった少年ダビデです。パシリには、ちゃんと神様の偉大なご計画があり、確かな意味があったのです。 ★救いは主のもの★ 兄エリアブは、堂々としているダビデに怒鳴り散らし(28節)、周りの大人たちまでもがダビデをうざがるので、ダビデの存在がサウルの耳に入ります。勇気を神様からいただいたダビデが、一歩を踏み出そうとしたときに、神様は次々と道を整えていかれることを、私たちは知ります。神様と二人きりで誠実にしてきた仕事、自分から望んだわけではなかった羊飼の経験が、神様の栄光のために用いられるのです。(34節)自分の経験、特技や賜物を誇るのではなく、目の前の巨人ゴリヤテでもなく、それらを超えて救われる神様に目を上げ頼る信仰告白こそ、私たちの力です。(37節)この神様への信頼は、私たちに神の愛を柔らかく染み込ませ、恐れを沈め、落ち着いた心で神の助けを受け取らせてくださり、たった一つの石ころで巨人ゴリヤテを撃退します。 ★神を愛する時、すべては益となる★ 日々の生活の中で、理不尽な苦しみがあるのは、私たちが神様の愛する子どもとされているからであります。(ペテロ①2:20、21)私たちはダビデではないですし、ダビデにはなれませんが、神様は私たち一人ひとりをいつも必要とされています。私たちを見捨てない神様への信頼によって、今ある目の前の巨人ゴリヤテに立ち向かうなら、神様は必ず勝利を与えてくださいます。(ヨハネ16:33)そして、いつも後から気付かされるのです。誰からも必要とされていない、していることの意味がわからない、そう感じる時を過ごしたことは、神様の栄光のための備えであったことを。(ロマ8:28)<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・森田学師>

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