回復~根本的善へ
更新日:10月24日
2024.08.04
◎ Ⅰペテロ5:10
キリスト教の人間観は「性悪説」だと言われますが、聖書的には、人間は本来「神のかた ち」に似せて作られた善なる存在です。創造の時点から見れば「性善説」とも言えます。しかし堕落により罪の性質を持って生まれるようになり、本来の善から遠ざかってしまいました。救いとは、その堕落した状態から「根本的善」へと回復されることを意味します。教会の福音提示の仕方はその点で不十分であったと反省します。救いは恵みとしてタダで与えられるということを強調してきました。死後の救いのためには罪を悔い改めイエスの十字架と復活を信じるだけでよい、そうすればただ神の恵みのみによって天国に行くことができる、そう強調しました。しかし、死後の救いだけが福音なのではなく、罪深い者が神のかたちに造り変えられ、この地上の生涯を喜びをもって生きることができる、根本的善の回復も福音なのです。そのためにイエスは全てを神にささげることも求めています。これは永遠の命を得るためには自分の命をささげるべきだというイエスの教えに基づいています(マタイ16:24-26)。どちらも聖書の語る真実です。矛盾ではありません。聖書はあらゆる角度から、あらゆる対象や事象への真理を語るため、一見矛盾するように見えますが、表と裏は同時には見られないものです。私の持つ全てのもの、つまり魂や感情、身体など、人生そのものを神にささげる必要があります。それは惜しむべきものでしょうか。大切に握りしめているその命は堕落した壊れた命です。それを神の命、新しい命と交換するという取引をしようと言うのです。その損得勘定をせよと言うのです。この取引には裏で(目に見えない神の側で)莫大なコストが支払われています。それはイエス・キリストの十字架の犠牲によって支払われました。「手付金」として聖霊が与えられ私たちは少しずつ内面から変化し、与えることに喜びを見出すようになります。日常生活の中で少しずつキリストの姿に近づき、「根本的善」へと回復されていくのです。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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