報いが与えられる時
2024.03.03
◎黙示録11:15~19
第七の御使いがラッパを吹く時が来ました。来るべき三つの災いの最後の合図です。マトリョーシカのように七つ目の何かが開かれると、そこからまた七つの何かが出てくるというのは、先回のまとめで見ました(バイブルプロジェクト動画参照)。この第七のラッパが吹かれると七つの鉢がぶちまけられ、第三の災いが起こることになります。しかし、その啓示の前にこの11章が挿入されました。あまりの恐ろしさに希望を失わないためにでしょうか。「この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった。主は世々限りなく支配される。」このみことばが成就する のです。現在はサタンの支配下にあり、人々は罪の中にあり、互いに愛し合うよりも傷つけあうことの方が多い世の中です。しかし、キリストの支配(神の国)がついにこの地に完成するのです。本当の最後の時がやってくるのです。このことは二つの意味を持ちます。イエスを主の主、王の王として迎えた人々には 慰めの言葉に、神の支配を拒み否んできた人々には最終的な裁きの宣告になります。「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です」(Ⅰコリ1:18)。十字架のことばは「福音」ですが、信じない人々には愚かに聞こえるのです。知恵のない者がすがる宗教に思えたり、あるいは救いの方法があまりにも簡単(イエスを信じるだけ)なので、もっと難しい修行を好む人たちもいます。けれども、神はそのような人間の知恵の方こそ愚かなものとされました。納得のいかない「諸国の民」は怒るでしょう(18節)。けれどもその怒りを上回るさらに凄まじい怒りが神からくだされるのです。「報い」にも二つの側面があります。「報復」のようなものと、「報酬」のようなものです。ただイエスを信じて罪を悔い改めるなら、小さい者にも大きい者にも同じ報酬が与えられます。信じて救われ、神の力をいただいて歩みましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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