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執筆者の写真みたまキリスト教会

変わることのない神の願い

2022.09.11



◎Ⅰサムエル3:1~10

ハンナの沈黙の祈りと感謝の祈りの中で生れ育まれるサムエルに、まれにしか語られていなかった主が語られます。それもサムエルが聞く準備が整うまで、何度も名前を呼んでくださるのです。神さまの働きかけを悟ったエリは、孫のようなサムエルが一人で、神さまの方へ向くことを励まします。9節「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」エリを慕うサムエルの姿はとても純粋で謙遜です。心に響く声があったとき、神さまからの声か分からなくても、勘違いだったとしても、恥じることなく信頼し相談できる人が近くにいることは、大きな助けです。エリもまた謙遜です。名誉欲や自己肯定感によって高ぶることなく、純粋に少年サムエルが神さまと親しく良い関係を持てますようにと、隣人の祝福を願う姿を教えられます。真の神、真理を求める人、イエスを知りたがる人、人生のどこかで私たちは相談を受けるときがあります。その時、私たちの存在が、神さまを求める妨げや遠ざける存在となりませんように。頼られる時その方が神さまと繋がり、神さまの祝福を受けられるように、祈り求めることこそ伝道の大切な一歩となると信じます。エリの家系へ語られた神さまのことばは、さばきの言葉でした。さばきには恐ろしいイメージがあります。しかし、神さまの言われるさばきとは、常に、永遠の救いと回復の希望、そして永遠の滅び、という二つの意味が含まれています。エゼキエル書(33:11)では『わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。立ち返れ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』と言われます。また、『神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。』(テモテ①2:4)昔も今も、まことの神さまへ向き直って(悔い改めて)生きることを、神ご自身が誰よりも願っておられます。正しくさばかれる神の願いを知り、私たちが神に愛されていること、神を愛していること、日々遣わされているところで、隠さず喜び歩ませていただきましょう。『私はあなたの義を心の中におおい隠さずあなたの真実とあなたの救いを言い表します。私はあなたの恵みとあなたのまことを大いなる会衆に隠しません。』詩篇40篇10節<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・森田学師>

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