変容~自分を変えるには
更新日:10月24日
2024.09.01
「変容~自分を変えるには」
◎Ⅱコリ3:18
これまでに人間の堕落について、そしてキリストの贖いによる回復について見てきました。生まれながらに罪を持つ者が、本来の根本的に善なる者の姿を取り戻すのです。その、罪の奴隷であった私がイエスの血によって洗いきよめられ、神の子へと瞬時に変わるということを指して「救い」と表現しますが、救いには成長の過程「聖化」も含まれます。聖書は「成長」や、聖なる者に変容する「聖化」について多く紙面を割いています。しかし、私たちは、罪の処理が済んで、天国行きの切符を手にしたらそれでアガリかのように考えていないでしょうか。クリスチャンの失敗(著名な牧師や伝道者は目立つ)を見るときに、世の人たちが教会やキリスト信仰に失望するのも無理はありません。私たちには、未だに残る罪の性質との戦いがあり、キリストの似姿に変えられ続ける必要があります。けれども自分の力で罪の性質を駆逐することはできません。そこでまた、救いは神の一方的な恵みによることであり、私たちはその恵みに対して応答するには全く無能力であるという考えを持ち出しますが、本当にそうなのでしょうか。自分を変えるために、私にできることは何もないのでしょうか。聖書にある成長や聖化について目を留めるときに、私たちにも為すべきことがあることに気付かされます。信仰か行いかではなく、信仰があればこそ行いが生み出されていくのです。その逆はありません。行いによって信仰が生み出されることはありません。変容は自分の力だけでは成しえませんが、願わないことには何も始まりません。まずヴィジョンを持つことです。どのような自分になりたいのか。それは杓子定規ではなく工場既製品のような一つの型でもなく、キリストのご性質の豊かさと同じく、無限の可能性がありえます。私たちは神のみおしえに反しない限り、どんな者にもなりうるのです。まず願うことです。神は私たちに志を与えてくださいます。そして、ご自身のみこころに沿うような意志と決意を与えてくださいます。それを実行するために、私たちは神のくださる賜物を活かして、手段や方法を工夫して行います。そのとき私たちは、自分が今、神がなさろうとしていることに行動をもって参加していることに気づくでしょう。神はあなたのヴィジョンと行動をも用いて神の国を建設されるのです。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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