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執筆者の写真みたまキリスト教会

大淫婦への裁きと子羊の勝利

更新日:10月24日



2024.09.15

「大淫婦への裁きと子羊の勝利」

◎黙示録17:1-18

17章と18章では「大淫婦バビロンへのさばき」が描かれます。悪の三位一体とも称される、竜、獣、にせ預言者ですが、その勢力に第四の象徴として「大淫婦バビロン」が加わります。淫婦とは姦淫を行うものです。もちろん文字通りの姦淫も含みますが、聖書ではしばしばイスラエルの神以外の神々を拝むことを姦淫にたとえて表現しています。この章では「大淫婦」とか「大バビロン」とか「大(メガス)」という言葉が頻出します。その惑わしは、大きさ、高さ、深さの魅力によって神から引き離そうとするものです。昔からサタンがよく使う手です。エバを誘惑したとき、神のようになれる、と、禁断の実を食べるように誘惑しました。イエスの荒野の誘惑では高い所から全世界を見せてサタンを拝めば世界の一部をくれてやると誘惑しました。私たちの周りにも、収入の高さ、知恵の深さ、人情の深さなど、誘惑となり得るものがあります。それらを全否定するわけではありませんが、麦の中に毒麦を混ぜるのが悪魔のやり方です。現代的価値観において一見善いことの中にも悪は紛れています。しかし、高さも深さもほかのどんなものもキリストにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。神の愛の大きさを一心に見つめて、わき目もふらずに歩みましょう。「バビロン」とは歴史上の具体的な国の名前であり実在のエリアのことですから、この予言が象徴的・比喩的なものでは終わらないことを表しています。すでに起こったことと、いまだその時は来ていないことの間に私たちは生きています。七つの頭(七人の王)と十本の角(十人の王)とは、歴史的実在の人物のことであることを聖書は示しています。現代の情勢も世の終わりの様相に見えますが、過去の歴史においても常に終末的様相がありました。世界情勢についての判断は難しいものがあります。時のしるしを留意し、しかし極端な政治信条に偏るような軽挙妄動に走ることなく、イエスのように隣人を愛し、平和を作る者となり、いつ再臨があってもいいように、小さな事にこそ忠実な歩みをしましょう。互いに愛し合うことで神の栄光を表すために私たちは召されたのです。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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