少年イエス
2023.11.26
ルカ2:41~52
イエスさまにも少年時代がありました。まことの人として来られたので当たり前と言えば当たり前ですが、聖書のなかに公生涯(宣教開始の30歳頃)以前の記述が極端に少ないので、ルカのこの記載は興味深いですね。どんな少年時代を送られたのか、想像してみるのも面白いかもしれませんが、私たちと同じようなところ、そして私たちとは違うところがあったことでしょう。今朝の箇所では、地域の信仰共同体のみんなと一緒に過ぎ越しの祭りのためにエルサレムに向かう場面が描かれています。12 歳の少年イエスさまも同年代の子どもたちと一緒に歩いて旅をしました。子どもが先頭、次に女性、そして最後に男性という隊列で旅をしたようです。お喋りをしたり、詩篇にあるような都上りの歌を歌ったり楽しい旅だったかもしれません。帰り道も同じように集団で移動しました。ところがしばらく進んだところでイエスさまがいないことが分かりました。ヨセフとマリアは心配しながらエルサレムに引き返し、街中を探し回りました。するとイエスさまは神殿でユダヤのラビたちと聖書の話しをしていました。律法学者の先生から教わりながら、少年イエスさまも賢い質問やお答えをしていました。教師たちはイエスさまの知恵と霊性に驚いたようです。そこに両親がやってきて、迷子になったと思っていたイエスさまを見つけました。マリアが「どうしてこんなことをしたのですか…心配してあなたを捜していたのです」と言うと、イエスさまは不思議そうに答えました「わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存知なかったのですか。」両親はその言葉の深い意味は理解できませんでしたが、聖霊によって身ごもったマリアはこれらのことを心に留めておきました。こうして少年イエスは、知恵が増し加わり、背丈も伸びて、神と人とに愛されながら成長していきました。私たちも神の愛のなかで成長しています。一日ごとにイエスさまに似た者に成長しています。これを聖化といいます。この世界が神の神殿そのものであり、神は見えないけれども今、私たちとともに住んでおられます。神の御子イエスさまと、父なる神と、聖霊なる神の臨在のなかに私たちも住み、神の愛のなかで成長し、両親や家族や隣人に仕えることを通して神に仕えて参りましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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