幸せは魂の健康から
2024.04.07
◎Ⅲヨハネ2節
2024年度の年間標語は「霊的に健康な教会」です。今年度で清和キリスト教会は100周年を迎えますが、新しい時代には霊性も新しくされる必要があります。古くて改めるべきものは新しくし、古くても普遍的なものは守り通していく必要があります。霊性の形成ということにおいては、誤った理解や実践もあったのではないかとキリスト教会にも反省すべきものがあるかもしれません。福音の力の本性は、人を常に新しく生まれ変わらせることにあります。神のみことばの真理は変わらないけれども、私たちは変えられ続けなければなりません。新しい価値観のすべてが正しいわけではありませんが、古い価値観に固執して人々が教会の門をくぐる妨げになったことはないだろうかという反省も必要です。さて本題ですが、キリスト教とは、人を幸せにするためにあります。私たち教会は人類の幸福のためにこの地に存在しています。自分の幸せのためだけではなく、この町の、この国の幸せや健康のために祈ることが使命です。自分の周りの世界をケアすることが使命なのです。幸福のためには、まず、たましいの幸いが必要であると、みことばは言います。世間的な価値観は逆かもしれません。健康や経済や事業などの欲求が満たされてから、次に心やたましいと言った霊性を求めていくようなところがあるのではないかと思います。けれども真理は違います。たましいの健康が真っ先に大事です。人間は霊的存在です。創造のとき、土くれから作られた人間の形をしたものに、神が息(霊)を吹き込まれて、人は神の像(かたち)に似るように造られたのです。霊性とは、心とか魂とか意思とか理性とかを含みます。人間は霊的存在であることを人は忘れたかのように生きていますが、無自覚にそれを求めています。運命とか運勢とかを信じたくなるのも、人間関係に心を使うのも霊性に関するものです。「わがたましいよ。なぜおまえはうなだれているのか」(詩篇42篇)と、たましいに語りかけていますが、心がたましいに語りかけているのです。自分の中のたましいの対話が必要です。霊は私たちの中核にある本質で、そこにキリストの御霊が入ることで、私たちは神のみこころを歩むことができます。たましいは私たちの存在を全体的(ホリスティック)に包み込むものです。そして私たちを取り巻く広大な領域に神の愛を注ぎ出すために存在しています。ですから、無意味に生かされているいのちなど一つもありません。私たちの全存在をもって、健康なたましいで健全に世に働きかけ、世界を救う神のご計画に参画していきましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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