弟子のアイデンティティ
2024.10.13
「弟子のアイデンティティ」
◎Ⅰヨハネ3:1~3
私たちクリスチャンが誰であるのか。その答えは、「神の子としてのキリストにあるアイデンティティ」に基づきます。自分がどのような存在であるのかという理解こそが、クリスチャンとしての考え方、行動指針の決定的な基盤となります。イエス様を救い主として受け入れた人々には神の子どもとなる特権が与えられています(ヨハネ1:12)。私たちクリスチャンは神の子どもです。これは揺らぐことがない事実です。そう感じられなかったとしても、私たちは神の子どもです。新約聖書の中で、クリスチャンを示す最もよく用いられている言葉は「聖徒」です。聖徒とは、「聖い人」です。パウロ書簡や他の書簡においても、平凡なクリスチャンを指して、惜しげもなく「聖徒」という言葉を使っています。パウロはクリスチャンたちが一生懸命に頑張ったから「聖徒」と言ったのではりません。パウロが明確に語っていることは、私たちクリスチャンは神様に召されて「聖徒」になったということです。聖書には、私たちは神に「聖徒として召された」ゆえに「聖徒」であると書かれています(Ⅰコリント1:2)。私たちが努力したから、ではありません。私たちは自分の本当の存在を認識する必要があります。それは、罪を犯すことがあるかもしれないけれど、私たちは「聖徒」であるということです。どう生きるのかが存在そのものを左右するのではありません。どういう存在であるのかが生き方を決定していくのです。自分はそういう者だと思えなかったとしても、御言葉を通して神様が語っていることを信じてください。キリストにあって自分が成長するための最も良い方法は、いつも自分がキリストにあってどういう存在であるかを思い起こすことです。私たちは神の子どもです。神の子として生 きるためには、自分自身を神の子であると認識しなければなりません。自分はキリストにあって神の子どもなのだと認識すると、生き方が、歩み方が、変わります。なぜなら、誰一人として自分はこうであると認識していることと、矛盾するような生き方をし続けることはできないからです。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・藤井聡美姉>
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