愛で紐付けられている
2021.07.18
◎ルカの福音書7:36~50
先週は「罪を思い出さない神」というお話しでした。神さまは私たちをその罪によっておぼえず、愛に紐付けておぼえていてくださるのです。今日の箇所の中心人物である女性も、“町でも有名な罪深い女”としてではなく、“より多く主を愛した女性”としておぼえられるのです。パリサイ人シモンの家に招かれたイエスさまが、食事の席に着くと、その後方から一人の女性が近づいてきました。シモンをはじめ、町の人だれもが「あの女は罪深い女だ」としていました。その女性は涙を流しながらイエスさまの足元に近づくと、その涙でイエスさまの足を濡らし、髪の毛で土埃を拭い、良い香りのする香油で御足を綺麗にしてさしあげたのです。そしてその足に何度も口づけをして感謝と愛情を表しました。おそらく、この女性はすでにどこかで主イエスの福音を聴き、神の御手に触れられ、心を変えられたのでしょう。かつての罪への後悔と、しかし、それがまったく赦され、主にあって御前に受け入れられたことの感謝と喜びを表すためにこのようなことをしたのでしょう。イエスさまは感謝のささげものとしてそれを受けられ、そしてシモンに例え話をしました。50 デナリの借金を赦された人と、500 デナリの人とではどちらが多く金貸しを愛するかという単純なお話しです。この女性は自分は多くの罪を赦していただいたと思ったからこそ、自分の持てる最高のささげもので主に感謝をささげたのでした。しかし、それに対してシモンは客人に対する最低限の礼さえもせず、自分を罪ある者とはしなかったので、イエスさまを少しも愛することがなかったのです。イエスさまは女性に「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言ってくださいました。この人や、私たちが信心深い良い行いをしたから救われたのではありません。イエスさまは私をすでに赦し、常に赦し、全く赦してくださると、その愛に信頼するからこそ、その信仰は今日も、この瞬間もあなたを救い続けるのです。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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