愛と尊敬と
2023.07.09
◎Ⅰサムエル18:1~12
神の愛で愛し合うダビデとヨナタンの心は信仰の友として結ばれ(=同盟・束ねる)、相手を高め、自分の所持する善いものを与えます。一方サウルは、自分の地位が脅かされると、ダビデを恐れ怒りで心が一杯です。自分よりも認められている人が身近にいると“なんであいつが”と思ったり、逆に、何だお前は目障りだと迫害されることもあります。人を羨ましがる時、①自己卑下・卑屈=嫉(そね)みが生まれ、②相手への憎悪=妬(ねた)みが生まれ、③大切なものを奪われてたまるか!=嫉妬という恐怖心に支配されます。『人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。』とある通 りです。【箴言29:25】 サウルに足りなかったのは、神に愛されているという確信です。罪を告白し、神に悔い改めても、未だ私には○○が無いと嘆くのは、神の愛で自分を愛せていないためなのです。でも、思い出してください。『わたしの恵みはあなたに対して充分である。』とイエスは言われます。五感や手足指…ばかりか、働く力、考える脳、学ぶと養われる知識、鍛錬すると成長する筋肉、磨くと輝く技術、感動する心、何もかも神が私たちを愛し創られたとき、プレゼントされたものです。私たちにあるもので、当たり前のものなど何一つないのです。何より、人には解決できない罪という病から生まれる死の呪いを、イエスは十字架で身代わりに命を捨てて背負い解放してくださった、その救いの恵みと、あなたは高価で尊いと言われる神の愛を受けているのです。サウルは既に王座から退けられていましたが、それでも神の愛をスルーしなかったのなら、人への恐れ・嫉妬・承認欲求、そのような罪から解放され、自分より若く活躍しているダビデを尊敬し、ああ、神はダビデを愛して祝福していると気付かされたことでしょう。『兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。』本当の愛は、尊敬とセットであると神は言われます。隣人を自分よりもすぐれたものとして心から見ることが出来るかどうか…、サウルにもう一つ足りなかったのは、相手への尊敬です。頭の中で、なんであの人が…と、つぶやくことがあるかもしれませんが、神はそんな私たちの弱さを知った上で、嫉妬から離れ、神の愛に生きようと、イエスは今日も私たちを応援してくれています。イエスの十字架の愛が今も私たちを包み、生かされていることを感謝し、嫉妬ではなく、隣人を愛し尊敬することを選び取ることを、聖霊にすがりながらお互いに求めて参りましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・森田学師>
Comments