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捜される神
2022.05.15
◎ルカの福音書15:11~24
ルカの福音書15章には三つのたとえ話が出てきますが、これは三つでひとつのたとえです。話の流れはみな、失われた者、捜される神、見つけられる喜びで共通しています。①失われた者。私たちは神の前から失われた者です。羊は極端に弱い生き物です。羊 飼いの守りと導きがなければ死んでしまいます。銀貨は価値あるものですが、持ち主の手を離れては価値を発揮することができません。家出息子は父との愛の関係を失いました。私たちは、神を離れては命を失い、生きる価値を失い、愛と喜びの関係を失ってしまうのです。②探される神。羊飼いは命をかけて羊を探します。危険を顧みず深い谷底に下りて来てまで救うのです。銀貨を探すためには家の明かりをつけ(燃料を消費する)見つかるまで労力を惜しまずに探されます。家出息子は父の愛を思い出し、その愛に手繰り寄せられて、帰郷を果たしました。父は遠くから見つけて走り寄り、もう一度息子として受け容れました。③主は喜び歌われる神。迷子の羊も、失われた銀貨も、家出息子も、ともに元に戻ったときには祝宴が開かれます。ゼパニヤ書3:17には主は喜び歌われると書いてあります。これは私たちが贖われたことを喜び歌われているのです。古代の王が勝利したときには吟遊詩人に勝利の歌を歌わせ、戦利品を眺めて楽しんだように、主は私たちをご自身の所有とされたことを喜び歌われるのです。しかも、主なる神の愛による支配は私たちにとっても安らぎとなるのです。主イエスは剣によってではなく十字架の贖いを通して勝利を取られましたから、主のもとに立ち返りましょう。そこに真の喜びと平安があります。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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