救い主のお生まれ
2023.12.24
◎ルカの福音書2:6~20
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ 2:11)ローマ帝国による住民登録命令のために、身重のマリアとヨセフはベツレヘムに来ていました。そこで産気づいてイエスさまがお生まれになりました。ナザレに住んでいたヨセフとマリアですが、イエスさまはナザレではなく預言の通り、ダビデの町ベツレヘムでお生まれになったのです。時期は定かではありません。仮庵の祭りの頃ではないかという推論も成り立ちます(祭司の当番の記述から計算して)。馬小屋あるいは家畜小屋などと言われますが、聖書には飼葉桶に寝かせられたという記述があるだけです。重要なのは「飼葉桶」です。イザヤ書1:3「牛はその飼い主を、ろばは飼葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らない。わたしの民は悟らない」とあるように、イザヤの預言の始めは民が恵みを忘れ、神に背き、イエスが救い主であるということを悟らないという預言から始まるのです。救い主の御降誕の知らせは、人口調査の数にも入れられていなかった羊飼いたちの元に真っ先に告げられました。そして羊飼いたちは飼葉桶に寝ておられるイエスを探し当て(ダビデの町というヒントだけを頼りに相当熱心に探したと思われる)、イエスを礼拝したのでした。「きょう」イエスさまはいつでも、イエスを主と受け入れる人の心の中に住んでくださいます。今日という日があるうちに受け入れましょう。「ダビデの町で」聖書の約束は必ず成就します。一見関係のないローマ帝国の人口調査を用いてでもベツレヘムで生まれるように仕組まれた神さまは、私たちを愛し救いに導くという約束をなんとしてでも成し遂げてくださいます。「あなたがたのために」羊飼いのような差別されていた人のためにも、そうでない普通の人のためにも、裕福な人のためにも、すべての人のための救い主として生まれてくださいました。しかし「あなた」一人のためだったとしてもイエスは十字架にかかられたでしょう。全人類のためと他人事にはできません。「この方こそ主キリストです」この方だけが唯一、私たちの罪のために死の犠牲となられた神です。この方だけが唯一、死を打ち破りよみがえられた方です。私たちの唯一の復活の希望、永遠のいのちを与える方です。この方を主と信じ、心の王座に迎えましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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