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執筆者の写真みたまキリスト教会

極まる~神の栄光と憤り

2024.06.30



◎ 黙示録15:1-8

15章からまた時系列的な記述に戻ります。ここからは神の裁きが激しく地を襲うことになっていきます。七人の御使いが、七つの鉢に災害を携 えてやってきます。「ここに神の憤りが極まるのである」とあります(1節)。神の憤りは、まず竜と獣と大淫婦バビロンといったサタンの勢力に対する者でありますが、同時に最後まで神を恐れずにサタンに従う者たちに向けられるものでもあります。サタンに従う者たちはイエスに従う者たちに戦いを挑み、迫害し、キリスト者たちは殉教の死を味わうことさえあるのですが、殉教者たちの祈りは香の煙のように立ち上り、祈りが満ちた時に、その祈りの応えとして神の憤りがあらわれるのです。神は恐れられるべきお方です。神の憤りは、神の威厳と栄光の現れなのです。「火が混じった、ガラスの海のようなもの」が何を指すのかは分かりませんが、そのほとりで信仰の勝利者たちは歌います。その歌は「モーセの歌」と「子羊の歌」であると言います。エジプトの苦難から偉大な神の手により贖われたことと、患難を通らされたキリスト者が子羊イエスの十字架の贖いによって救いが確証されていることをほめたたえる歌が対比されています。続いてヨハネは「天にある、あかしの幕屋である神殿」を見ます(5節)。そこから七つの災害を携えた七人の御使いが出てくるのをみます。彼らに七つの鉢が渡され、その鉢が一つ一つぶちまけられることになりますが、そのたびに恐ろしい災いが起こります。神殿の中は「神の栄光とその御力から立ち上る煙で満たされ」ていましたが、七つの災害が終わるまでは、誰もその中に入ることはできないのです。神の憤りは、今、神のあわれみによって先延ばしにはされています。しかし、その時が来てしまったらもうどうすることもできません。今まさにその時代が来ようとしているのです。「ですから見なさい、神のいつくしみと厳しさを。倒れた者の上にあるのは厳しさですが、あなたの上にあるのは神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り取られます」(ローマ 11:22)。神のいつくしみの中にいられるうちに、神に立ち返りましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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