水の上を歩く
更新日:10月24日
2024.07.28
◎マタイの福音14:22~33
五千人の給食の奇跡のあと、イエスさまは弟子たちを「強いて」舟に乗せ湖に出航させました。そしてご自身は山に行き静まって御父と交わる時間をもたれました。やがて弟子たちのいる湖では嵐になり、その水の上を人影が歩いているのが見えました。弟子たちは幽霊だと思って怖がりましたが、「わたしだ(エゴーエイミ)」という声でイエスさまだとわかりました。なんと水の上を歩いて近づいて来られたのです。ペテロはその姿を見て、私にも水の上を歩くようにお命じくださいとお頼みしました。すると、来なさいと言われます。ペテロが数歩進んだところで強風が吹き、恐ろしくなったペテロは沈みかけてしまいました。助けを求めるペテロにイエスさまは「どうして疑ったのか、信仰の薄いものだな」と(たぶん笑われながら)助けてくださいました。そしてペテロとイエスさまが舟に乗ると風がやみました。一部始終を見ていた弟子たちは「まことに、あなたは神の子です」と言って、イエスを礼拝しました。ユダヤ人は決して人間を礼拝しません。イエスさまは神さまだという信仰が弟子たちの中で始まったのです。イエスさまは信仰の創始者です。そして自らもヨセフの子として歩まれ、十字架の上で死に至るまで御父なる神に忠実であられました。そして信実(ピスティス)を全うしてくださり、「完了した」と言われて、私たちの救いを完成してくださったのです。信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さずに歩むなら、私たちもイエスさまのピスティスにより信仰の生涯を全うすることができます。私たちの人生はさまざまな試練があり、そもそもが水の上を歩くような困難で不確かなものです。しかし、イエスと共に歩くなら、どんな試練も乗り越えることができ、天の御国に至るまで信仰の歩みを続けることができます。主は良い羊飼いであられ、私たちはその牧場の羊として忘れられることなく数えられています。眠れぬ夜にはそのことを思い起こしましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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