涙の預言者エレミヤ


2026.08.23
「涙の預言者エレミヤ」
◎エレミヤ18:1~12
先週は「涙の預言者」エレミヤの生涯を通して、「命の水」と私たちを形作る「陶器師なる主」についてみことばから聞きました。
エレミヤは南ユダ王国の末期に、バビロンに降伏せよという厳しいみことばを語るよう召された預言者です。人々から反発され、命の危険にさらされながらも、「引き抜き、引き倒し、滅
ぼし、壊し」という圧倒的な破壊と、その後の「建て、植える」という回復のメッセージを語り続けました。
当時の民は、命の水の源である神さまを捨て、水をためることができないひび割れた水ためを掘っていました(エレミヤ2 章13
節)。これは、自らの正しさや凝り固まったこだわりにしがみつく、私たちの姿でもあります。神さまはエレミヤを陶器師の家に遣わし、思い通りにならない粘土を練り直し、新しく作り直す姿を見せられました。
主は陶器師であり、私たちは粘土です。まだ柔らかいうちに神さまの介入を受け入れ、悔い改める心が大切です。失敗した器も、細かく砕かれて新しい粘土に練り込まれることで、熱に強い、より強固な器へと生まれ変わります。「砕かれる」ことには痛みが伴いますが、それは将来と平安を約束する神さまの恵みな
のです。
福音の力は、私たちを「変え続ける」ことにあります。私たちは自分の慣れ親しんだ形が壊されることを恐れがちですが、神さまは私たちが命の水を少しだけため込む「ひび割れた器」で終わることを望んでおられません。しっかりと命の水を受け止め、周囲へとあふれ流す豊かな器となることを願っておられるのです。
教会も生きたキリストのからだとして、常に新しくされようとする主の御手を恐れず、すべてをお任せしましょう。「主よ、私
はあなたの御手の中にある粘土です。どうぞ私を砕き、あなたが命の水を豊かに注ぎ、あふれ流すことができる新しい器へと作り直してください」と、ご一緒に祈り求めていきましょう。
<みたまキリスト教会日曜礼拝学び・小林泰輔師>


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