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執筆者の写真みたまキリスト教会

益へと変える神

2022.12.11




◎Ⅰサムエル8:18~22

事が順調に進むと、再び神を忘れ自分の欲と利益のため生き始めるサムエルの息子たち。民たちは不満を募らせ、神を横に置き、支配する王が欲しいとわがままを言い始めます(4,5節)。しかし神は300年以上も前から預言されていました(申命記17:14、15)。神は、私たちの心の中を何でもご存知です。『ことばが私の舌にのぼる前に なんと主よ あなたはそのすべてを知っておられます。』(詩篇139:4)神は、納得がいかないサムエルに寄り添いつつも、ついに民たちが王を立ててほしいというときが来たのだ、と思われたに違いありません。サムエルは、今自分の思いを神に委ね、幼い頃と変わらず、神の御声に聞き従うことを選びます。(22節)私たちもそうするなら、神の愛をさらに深く知る祝福となります。サムエルの耳を開きサウルを迎えさせる神は、三日前にいなくなった雌ロバを探すサウルをサムエルのところへ導かれます。彼はイスラエルの中で一番美しい青年で、とても謙遜でした。しかし、徐々にサウルの心は神から離れてしまいます。そこで、次に選ばれた王、それはダビデです。さらに、真の王として、この地上に来られたイエスは、このダビデの子孫として生まれて来られました。それがクリスマスです。神は私たちの見る視点とは異なる視点をお持ちなので、納得いかないと思うことが、後から祝福であることに気づかされます。『神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。』(ロマ8:28)これは決して、わがままの勧めではありません。しかし、躓き倒れ迷いやすい私たちの選んでしまう事さえも、ずっと長い時を経て、それは神にとって益となるということです。民が王を欲し、サウルが選ばれ、さらにダビデが選ばれなければ、救い主イエスが人となって来られる預言は与えられなかったでしょう。神がではなく、“神を”愛する人たち、と聖書は言います。神が愛されるのは、神が創られた全ての人。神の愛と神の招きに応答し、イエスを信じ、イエスと共に生きることを求める人々こそ、神を愛する人たちであります。今、私たちは、イエス・キリストを私の王として、心の王座に迎えたいと願います。真の王イエス・キリストは、私たちの心の悲しみや苦しみ、痛みを知ってくださり、やわらかく愛で包むお方です。この方が人となってお生まれになることのために、民たちのわがままさえも神は益とされました。私たちの愛する神は、すべてのことをともに働かせ益としてくださるお方です。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・森田学師>(代読・小林泰輔牧師)

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