目を開けて
2022.09.04
◎ルカの福音書18:31~43
イエスさまがご自分の受難を予告されますが、十二弟子たちもイエスさまの言われたことを理解できなかったとあります。彼らの肉の目は開かれていたけれども、そこに映っていたのは政治的・軍事的なリーダーとしてのメシアの姿だったのかもしれません。それが死ぬなどということはにわかに受け入れ難いことかもしれません。そのような十二弟子とは対照的に次に盲人の目が開かれる話が挿入されます。共観福音書にはこの話があり、盲人は二人であったり、片方の名前がバルティマイであることなどを知ることができます。彼らには生計を立てる術がなく、物乞いをしていました。彼らは通りがかる人の気配を感じて、憐みを乞うたでしょう。そのために耳を澄ましていたのです。すると、空気が変わったのを感じたのではないでしょうか。イエスさまとその一行が近づいて来たのです。耳を澄まして福音の訪れを聞いた盲人は、次に口を大きく開けて叫び求めました。「あなたの口を大きく開けよ。わたしがそれを満たそう」(詩81:10)。開いた大きさに応じて満たされる分も大きくなります。主は彼の叫びに応えて、彼を呼び寄せ言われました。「わたしに何をしてほしいのですか。」実質、何でもしてあげようと言われているのと同じです。それで彼が「見えるようになることです」と答えると「見えるようになれ」と言われ、彼の目は開かれたのです。その目に初めて映ったのは、主イエスの麗しい御顔でした。なんと幸いな人でしょう。「主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた」(詩34:5)。主を仰ぎ見ることなく、主の御前を去って行った富める青年との対比もここにあるのではないでしょうか。そしてイエスさまは「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われました。信仰によって「癒された」のではなく、「救われた」のです。肉体の癒し以上のことが起きたのです。彼は目が開かれてものが見えるようになっただけではなく、神さまの愛がどれほど深いかを見て味わったのです。神の偉大な御力と栄光を見たのです。目が開かれる前に彼は、耳を澄まし、口を開けて、信仰をもって主を求めました。私たちも主を求め、そのすばらしさを味わい、見つめ、目を離さずに歩みましょう(詩34:4-10)。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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