神の与える喜び
2024.03.17
◎ピリピ1:1~13
★パウロの喜び★死刑を覚悟するパウロは、初めから最後まで、喜びなさい喜びなさいと、牢獄の中から外にいる人々を励まし続けます。パウロが上辺でもなく、開き直りでもなく、心の奥底から喜びに満たされているのは、どんなに不利な状況であっても祈り合い、慕い合い、助け合い、愛し合う、そんな神の家族がいたからです。神と私が人格的に交わりを持つように集まる者同士が、神の臨在の中で互いに交わりを持つことは、キリストの教会と呼ばれる集まりの特権です。たとえ一致が壊されても(ピリピ4:2)、諦めずにキリストにある励まし、愛の慰め、聖霊の交わり、愛情と憐れみが、私の心にあるだろうかと(同2:1)、自分自身を吟味することを心掛けたいと願います。自分を吟味するとき、隣人をも余裕をもって考慮する心が神から与えられるからです。 ★みことばの力★そしてパウロを喜びで満ち溢れさせるもう一つの秘訣は、“神は良いお方で、常に最善をなしてくださる”とどんな状況でも信じて疑わない心です。(①コリント10:13)8節にあるように、真実な神のなされることを、心に留めることでもあります。一言で、これを信仰と言います。神の語られるみことばに感謝して、心にいただく、それが神の与える喜び平安となるのです。私たちの心が酷い状態でも、みことばは力となり私たちを確かに支えます。私自身、父を亡くし悲しみと疲れ、憤りに心が乱れ倒れた時、神が語られるみことばに心を留めると、聖霊が働かれて、そのみことばの通りになり(ピリピ4:4,5)、完全に倒れないように、神が支え助けてくださいました。 ★神の約束★パウロは、貧しい境遇でも、富んで満ち足りている境遇でも、境遇に左右されずに、主とともに生きることに満足することを神から学んだと告白します。それは13節『私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。』と心得ることです。私たちは弱いですが、私たちを強くしてくださるお方、十字架で罪を贖い、死を打ち破られた力強いお方が、私たちの味方です。私たちは、環境や境遇によって、心が左右され易いです。これからも、納得できないことや、理解できないことが起こりますが、イエスとともに生きる私たちに、失望は似合いません。どんなに私たちが愚かであっても、すばらしい私たちの神が、私たちのうちで理屈では説明できない、私たちの理解を超えた、平安と喜びが私たちを満たしてくださる約束を受け取りましょう。(ピリピ4:7)<みたまキリスト教会礼拝・森田学師>
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