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執筆者の写真みたまキリスト教会

神の国とあなたと私

2022.07.17



◎ルカの福音書17:11~21

十人のツァラアト患者の話から、「神の国とあなたと私」について聞いていきたいと思います。イエスさまはエルサレム向かう道のりで、サマリアとガリラヤの境を通られました。そこの村に少なくとも十人のツァラアト患者がいました(ツァラアトに関してはレビ記13〜14章を参照)。ツァラアトは宗教儀式上の「汚れ」とされていましたが、結果的にはそれが感染拡大を防いでいました。そのため彼らは町囲いの外に住まわなければなりませんでした。感染者同士なら肩を寄せ合って生きることもできたでしょうか。彼らは声を合わせてイエスさまにあわれみを請い叫んだのです。その叫びに応えてイエスさまは彼らに対して「行って自分を祭司に見せなさい」とだけ言われました。律法の規定により、ツァラアトの完治を宣言するのは祭司の役目でした。彼らはまだ癒えていない患部を見ながら、しかし信仰の目を開いて、癒されることを確信してエルサレム神殿の祭司の元へと旅立ちました。するとその途上で皆が癒されたのです。そのうちの一人、サマリア人だけが戻ってきて、イエスさまに叫んだとき以上の大声で神をほめたたえながら、イエスさまのもとに来て平伏して感謝をささげました。イエスさまはその礼拝をお受けになられました。しかし、残念そうに「戻って来たのは他国人のあなただけなのか、他の九人はどこにいるのか」と言われました。他の九人はイエスさまのお言葉に従ってエルサレムに向かったのです。律法の規定により、ツァラアトが癒されたら、神殿でなすべき儀式がたくさんありました。そのためにエルサレムへの道を進んでいたのです。そのような行動をイエスさまはお責めになったのでしょうか。イエスさまは共に苦しみを耐え抜いたこの十人が、「共に」神を礼拝する者であり続けたら良かったと思われたのではないでしょうか。イエスさまはサマリア人に言われました。「あなたの信仰があなたを救ったのです」。信仰によって癒されたのは十人とも癒されました。しかし、救いとは心の内側から全くきよめられ、新しく作り変えられることです。新しく作り変えられ、イエスさまを「共に」礼拝する共同体になることが神の救いの御心なのではないかと思います。神の国(支配)は目に見えないかたちで、私とあなたの間に来ています。共に生きる愛の絆として。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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