神の国と人の子の日
2022.07.24
◎ルカの福音書7:20~37
神の国はいつ来るのか。その時には人の子(メシア)が雲に乗って来られると信じられていました(ダニエル7:13-14)。それはいつ、どこで起こるのか、ここはパリサイ人たちの罠ではなく、真面目な質問だったことでしょう。ルカの福音書が書かれた時代は、すでに再臨についての様々な見解や異端的教えも混在していました。ですから、ルカは二回もこのことを取り上げています。現代においても「再臨のメシア」を名乗る者や、世の終わりや神の国がどのように来るのかを細かく述べる人や宗教団体がありますが、イエスさまでさえ、その日がいつかは知らないと言われたのです。現代の異端カルトには自分だけでなく、周りの人にも注意喚起していかなければならないと思わされます。イエスさまは神の国は、人々の間にすでに来ていると言われました。御子イエスさまが来られたことにより、救われた私たちは内側から作り変えられて、神の国のアイデンティティに生きるようになります。つまり、神を愛し、隣人を愛して生きていくことに喜びを見出すアイデンティティです。また、人の子の日に先立って御子の十字架の苦しみがあったことを忘れてはなりません。私たちの理性や人間性の進歩によって、道徳心が向上したり、人を愛せるようになったりしたのではないのです。神の国はすでに来たという現在性と、いまだ完成していないという未来性が同時にあります。神の国は、盗人のように突然やってきますが、その時、光の子とされている私たちは、それで慌てるようなことにはならないともパウロを通して言われました(Ⅰテサロニケ5;1-11)。その日が来るのを待ち望みながら、私たちは昼の子、光の子として、なすべきことをなすだけです。しもべがなすべきことをなすだけです。神の国の民であり、同時にこの世の善良な一市民として、良い生き方によって天におられる父を証しするのです(マタイ5:16)。それがキリストの香りを放つということでしょう。イエスさまはこの時、弟子たちに言われました。「死体のあるところ、そこには禿鷹が集まります」。お前たちから死の腐臭がするのではあるまいか?そう弟子たちにも警句を語られたのでしょう。私たちも霊的な自分の匂いチェックに気を遣いましょう。芳しいキリストの香りを放って歩めますように。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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