神の国を通り過ぎていく人たち
2021.07.04
◎ルカの福音書7:24~35
教会は人々にとっての良い知らせを告げます。けれどもその宣教の声を耳にしながら神の国を通り過ぎていく人がいます。神はそのような人たちを悲しみ痛んでおられます。イエスさまは、子どもたちのごっこ遊びのような呼びかけにたとえて、笛を吹いても踊らない、弔いの歌を歌っても泣かない人たちへの残念そうな物悲しさを表しました。当時の人たちは、バプテスマのヨハネの宣教の声を聞きました。しかしそれを、川辺にそよぐ葦を眺めるように遠巻きに見るだけのような人もいました。神の国の福音を耳にしながら、神の国に入ろうとはしない人たちです。バプテスマのヨハネは救い主が来られる先触れとして現れる者として、旧約に預言されていたその人だったのですが、パリサイ人や律法学者といった神のみことばに近く触れていた者ほど、ヨハネを認めず、神のみこころを拒んだのです。反対に取税人や罪人たちがヨハネを受け入れて悔い改めのバプテスマを受けました。自分の罪を認めて神の前に小さな者となり、身を低くして狭い門から入ったのです。へりくだってイエスさまを受け入れた者が神の国では偉大な者と呼ばれるのです。ヨハネのように、この世と同調せずにきよい生活を目指していたり、自分の罪を悲しみ悔い改め、人々にも悔い改めを勧めると、宗教にハマっている人というふうに見られ距離を置かれてしまうことがあるかもしれません。その正反対にイエスさまが罪人たちと喜びの宴をもたれたように、まったく自分の努力でなく救われることを喜んでいると、この世の宗教は自分の善行によって救われると説くので、思わぬ反発を受けることもあるかもしれません。そうして神の国を遠目に見て通りすぎる人、誤解して離れていく人がいるのです。神の知恵を頂いて、「知恵の子ら」として神の国の福音を宣べ伝えていきましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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