神の思い、私の思い
2021.06.13
◎ヨハネの福音書6:34~51
ヨハネは、イエス様の行なわれた奇跡をたった7つだけに絞りました。それは、イエス様の栄光をあらわすためです。しかし、人々は、目前の奇跡にばかり感心を寄せ、イエス様には見向きもしません。奇跡はすばらしいものですが、イエス様に感心がないのなら、イエス様といくら会話をしても、心はすれ違い離れてしまいます。イエス様のことばさえも受け入れられず、不満があふれてきます。私たちの心を唯一満たす、いのちのパン=イエス様の言葉を心が食べない限り、心は満たされないのです。結局のところ、何か証拠を見たから信じると言うのは、実は信じるきっかけになることはあっても、信じることとは違うのです。今、神様が求めておられることは、奇跡を見て満足することではなく、奇跡を行われる、力あるお方イエス様の心を知ることです。誰でも、イエス様を心から求める時、神様の方が私たちを力強く引き寄せてくださり、私たちに神様の思いを教えてくださいます。そんな私たちに、永遠のいのちに至る食べ物、イエス様のために生きましょうと招かれています。私たちは、神様の御手の中で、いま生かされています。この地上の旅の終わりはいつなのか、神様にしかわかりません。突然父が天に召されたことを通して、永遠に続くものは、キリストを嬉しそうに誇ること。キリストの愛に生きることと知りました。しかし、他のものを優先にして生きても、地位や名誉や財産を築き上げても、何一つ天国へは持っていけません。私たちはなぜ、今の私たちなのでしょうか。あなたはなぜ、今のあなたなのでしょうか。『なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。』何よりも先ず、神様の思いに私の思いを重ねて生きるならば、人々はあなたに感心を寄せ、そのあなたの中にある神の思いに触れて、祝福の泉が流れていきます。<YOUTUBE清和キリスト教会オンライン礼拝・森田学師>
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