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執筆者の写真みたまキリスト教会

私の目の前に主を

2023.11.12



◎Ⅰサムエル21:10~22:2

★命を狙われるダビデ★ 王位に固執するサウルは、息子ヨナタンを王にするため、神が次に選んだダビデを亡き者にしようとします。ヨナタンは、父の殺意を信じられず、父に嘘をついてまで親友ダビデを庇います。【20:31】サウルは自己中心で承認欲求に囚われ、隠れるダビデを暴こうと、追回します。詮索され秘密を暴こうと(=噂話)されるダビデ。巨人ゴリヤテを倒した勇敢なダビデであっても、精神的な圧力の前に、理性を保つのも大変だったのです。 ★ダビデ必死の逃亡★ ヨナタンに助けられたダビデは、祭司アヒメレクのもとへ独りで着きます。独りを不審に思われたダビデは、嘘をついて(サウルの配下ドエグを認知しながら)かくまってもらいます。【21:2】悲しいことに後日、祭司アヒメレクと一族85人は、1人を残して全員殺されてしまいます。【22:18】人を恐れるダビデは、『門の扉に傷をつけたり、ひげによだれを垂らしたり』【21:13】プライドを捨てて、逃亡生活を続けるのです。 ★主を前に置くダビデ★ そんなダビデの周りには、気づけば弱い者たちが集まります。【22:2】 一方、サウルは人々を恐怖に陥れます。違いは明確です。サウルの目の前には、初めは愛し慕っていた主が、もはやいなくなっていたのです。【詩篇54:3】しかし、ダビデはどんな状況でも『私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆることがない。』のです。【詩篇16:8】目に見えないお方を目の前に置くとは、私たちの内に住まわれる主ご自身に、あなた自身をゆだねることです。 ★イエスの愛を知る★ 私たちもダビデのように、沈黙に生きざるを得ない中を通されます。そのとき必要なのは、イエスの愛です。『愛は…すべてを耐え…』【コリント①13:7】 すべてを耐えるとは、“脅かすものを避けるために沈黙する。秘密を覆い隠し守る。”という意味の言葉です。まさに、イエス様の愛です。イエス様は十字架の上で、理不尽に責められ、ありもしない悪口を言われ、私たちの人間の罪をなすりつけられても、ただ黙っておられました。 ★主を前に置くことを選ぶ★ 私たちは、イエス様を信じていても、失敗はありますし、判断を間違えることもあります。完全ではありません。しかし、ダビデのように、自分の弱さを認め、主に告白し、どんな状況の中に置かれていたとしても、神さまを愛していくことを選び取っていくことが、私たちの生きる力となるのです。神様こそが、私たちの歩むべき道を示し、私のいのちもすべてを守っておられるお方であるからです。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・森田学師>

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