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執筆者の写真みたまキリスト教会

美しくあれ

2022.02.06



◎ルカの福音書12:22~34

「機能美」という言葉がありますが、道具や製品などの本来の機能がいかんなく発揮なくできるデザインについての言葉です。私たちは,神さまの創造の意図に沿うときに美しくあることができるのではないでしょうか。このところで主は、心配するなと語られます。私たちは心配するために造られたのではないからです。心配するのは神さまの仕事です。心配したところで、私たちは自分では身長を1ミリ延ばすことさえできないのですから。けれども私たちには日々さまざまな心配を抱えてしまいます。衣食住の生活の心配、健康の心配、人間関係の心配、コロナにまつわる心配。目に見えないウィルスを完全に防ぐことなど出来ないのに、神のように完璧であることを自分にも他人にも求めてしまいます。「心配」の根底にあるのは「貪欲」と同じく「恐れ」です。私たちが恐れなくてもよいことを、主イエスは空の鳥、野の花を指しながら優しく語られます。烏は自分の食糧を庫に納めたりしなくても神が養ってくださるので生きていられます。烏でさえ大事にしてくださる神にとって、まして人間はどれほど価値があるでしょうか。野のゆりはそこにあるだけで美しいものです。栄華を誇ったソロモン王朝の金銀財宝さえその美しさにはかないません。しかし、ゆりは自分で何かをして美しくなったわけではありません。まして私たちのことを神はどれほど美しく装ってくださることでしょうか。私たちは神さまに信頼して、ただそこにいて、置かれた場所で咲くだけで美しくあることができるのです。神さまに信頼し、神さまとの間にある愛が確かなものであることに自信をもって、神に感謝し、ほめたたえて生きることが、私たちの本来的な美しさなのです。その上で私たちのなすべきことは、「御国」を求めることです。神さまが治める世を求めることであり、神さまが私を支配してくださることを求めることです。すると、心の中が神さまのことでいっぱいになって、神さまの栄光のために生きたいと思うようになります。そのために必要なものはすべて神が与えてくださいます。小さな私、小さな群れであっても、神は大きく用いてくださいます。与えられた賜物を倉に収めず、開け放して分け与えましょう。それこそがとても本質的な美しい在り方です。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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