聖徒たちの祈り
2024.01.07
◎黙示8:1~13
子羊によって第七の封印がついに解かれました。嵐の前の静けさのあと、七つのラッパを吹く御使いが現れました。それらの御使いがラッパを吹くと、恐ろしい出来事が起きます。この8章では前半の四つのラッパが取り扱われます。黙示録では「七」という数字が頻出しますが、前半と後半に分けられる描写の時は、後半が特に激しくなることがあります。嵐の前の静けさや、途中の小休止のような時間に、神の御思いを見る気がします。子よ、我に帰れという、御父の思いです。厳しい裁きのただ中にあっても神はあわれみで御胸が裂かれるような思いで、私たちが悔い改めて立ち返るのを待っておられるのです。ここで描かれる前半の四つのラッパの内容は、①血の混じった雹と火が地に降る、②火の燃えるような山のようなものが海に入る、③天からたいまつのような星「苦よ もぎ」が川に落ちてくる、④光(太陽、月、星が欠ける)の輝きが失われる、などというものでした。やはり文字通りに読むべきものか、象徴的に読むべきものか、予言のように読むべきものか、難しいところです。共通しているのは1/3が悪影響を受けるというところです。そこから言えることは、この期に及んでもなお、抑制的な神のあわれみではないでしょうか。そして、この章の最後に中天を飛ぶもの言う鷲により「わざわいが来る」と警告が発せられるのです。荒野を通るような試練の中で神の御声を聴いたなら、心を頑なにせず、悔い改めることです。そうすれば、イエス・キリストの十字架の犠牲により、裁きを免れ、いのちを得ます。そのために「聖徒たち」つまり教会はとりなしの祈りをするのです。その祈りは神の御前に香の煙のように立ち上るものです。歴代の聖徒たち、教会たちが祈りを積んで来ました。祈りは伝道です。伝道は愛を根拠になされます。世に対するあわれみを忘れない神に倣い、私たちも人々の救いを求めて祈りましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>
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