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執筆者の写真みたまキリスト教会

聞き方に注意しなさい

2021.08.01



◎ルカの福音書8:16~21

ここでは二つのたとえが語られています。明かりのたとえと、隠れているもののたとえです。どちらも神のことばについてのたとえです。神のことばは私たちの歩む道を照らす光です。私たちの人生を明るく照らし安全に導くものです。神のみことば、聖書の使信とは、神の御子イエスが王となられ、やがて御国を統べ治めることになるというものであり、その告知であります。イエスさまの治める御国には、イエスを主と信じる者しか入ることができません。このことは今やイスラエルだけでなく異邦人にも知らされ、すべての人を照らし導く光となりました。「入って来た人たちに光が見えるように」明かりは燭台に置かれているのです。「隠れているもの」「秘められたもの」、「奥義」とも呼ばれるものの覆いは取り除かれ、あらわにされました。神の御国の福音は旧新約聖書を通してもはやすべての人に開かれたものとなっています。ですから、知らなかった、聞かされていなかったとは言えないのです。ですから、聞き方に注意しなさい。聞く耳を持って聞き、従う心をもって聞きなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。持っている者と持たない者とは、聞く耳、信じる信仰のあるなしのことです。イエスさまの家族が出てきます。兄弟たちは他の福音書などの記述からすると「イエスを信じていなかった」(ヨハネ7:5)とあります。イエスさまは「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちことです」と言われました。神のことばの「聞き方」とは、それを聞いたら実行するつもりで聞くことです。イエスさまが王となられる国の民、王なるイエスさまの兄弟として、御国の共同相続人として生きるのです。そうとなれば王の家族としてふさわしく振る舞うようになるでしょう。「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。」(ヤコブの手紙1:22)<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・小林泰輔牧師>

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