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執筆者の写真みたまキリスト教会

自分のため?神のため?高慢と謙遜

更新日:10月24日



2024.09.08

「自分のため?神のため?高慢と謙遜」

◎Ⅰサムエル31:1-7、Ⅱサムエル1:23-27

★サウル、そして親友ヨナタンの死★ ダビデの親友ヨナタンが殺され、ヨナタンの父サウルは、敵国ペリシテ人に追い詰められ瀕死です。サウルを殺すなんてと恐れる道具持ちを前にして、サウルは敵になぶられないよう自ら剣の上に倒れ込み、死ぬことになります。 ★心の高ぶり★ それから三日後、ダビデのもとへアマレクの男がやってきました。その男の死亡報告は、他の聖書の証言とはまるで違います。彼は良いことをしたつもりでした(②サムエル4:10)。口ではダビデのために、しかし心では、自分の名前が高められて、自分の栄光があらわされることを求めていたのです。報告が嘘であれ、神が油注がれた王(サウル)を殺した発言は、神をも恐れないことです。アマレクの男は、ダビデから“よくやった!あの執念深いサウルをよく殺してくれた!”と、手柄をほめられて、輝かしいご褒美を…もらうことは無く、一瞬のうちに自分の命を失ってしまうのです。『人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。』箴言18章12節 ★へりくだり★ ダビデは、サウルという上司から認められなくても、嫉妬され殺されかけ逃げることになっても、復讐することなく愛で応え続けました。そしていま『サウルもヨナタンも愛される立派な人だった』と祝福し歌い、イエスのように自分を低くし、隣人を愛することに生きるのです。 ★神の愛★ ダビデはさらにこう歌います『ヨナタン…あなたの愛は、女の愛にもまさってすばらしかった。』この愛こそは、アガペーといわれる神の愛です。夫婦の愛・友情の愛・親子の愛の土台となる、別次元の特別な神の愛。この愛をダビデは神から迷いなく受け取り、その愛でヨナタンばかりか、サウルをも愛したのです。そして、ダビデの子孫として生 まれてこられた、神の御子イエス・キリストこそ、この神の愛に最も生きて示してくださいました。神ご自身が誰よりも低くなって、十字架で私たちの罪を背負われて、死なれた。それほどに、自らを犠牲にしてまでも相手を優先する献身的な大きなイエスの愛。そんな愛が、私たちを愛する神がおられるのです。『私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。』 ①ヨハネ4:10 ★神の愛を受けとって歩む★ 私たちに愛される資格があるから、神は私たちを愛するのではないのです。神は、あなたの存在を、愛すべき大切な 存在としてすでに認めておられ、そして現に今も愛してくださっているのです。誰かが見ていなくても、誰かに認めてもらわなくても、誰よりも神があなたの存在を認め、愛しておられることほど、真実で頼もしいことはありません。神の愛は本当に不思議で、奇跡です。この愛を受けとる私たちが、ますます神ご自身を味わわせていただいて、すばらしい神の栄光が全ての人に届けられることを望む。そのような神の愛に歩めますようにと、聖霊の助けをともに祈りましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・森田学師>

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