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執筆者の写真みたまキリスト教会

謙遜へと流れる神の恵み

2022.08.14



◎Ⅰサムエル2:1~10

誰からも理解されず…苦しみ黙って祈るハンナを、神さまは見捨てず、子を与えられます。そして今、その時よりも溢れる心で、ハンナは、神さまへ賛美の祈りを捧げます。ハンナの謙遜な心に、神の恵みが豊かに注がれ流れます。『主は、弱い者をちりから起こし、貧しい者をあくたから引き上げ、高貴な者とともに座らせ、彼らに栄光の座を継がせます。』ハンナは、祈りに応えられた神さまにこそ心を向けます。この謙遜の秘訣は、1章16節にあります。『このはしためを、よこしま(=無価値)な女と思わないでください。私は募る憂いと苛立ちのために、今まで祈っていたのです。』ハンナは、自分が弱く、価値の無い者だと知り、卑屈ではなく謙遜に、神さまにすがるほかないと心貧しくなっていたのです。私がこんなにお祈りしたから祈りがきかれた。私が、と思うことがあるでしょうか。ヤコブ書には『正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。』とあります。けれども、“祈りに応え大きな力で働く神さまがいるからこそ”を忘れるとき、私たちは自分の栄光を求めているのです。自分の祈りで何とかなるなら、神さまがいなくても同じで、神を無価値とみなす、自己中心です。まさに2章12節の『エリの息子たちはよこしま(=無価値)な者たちで、主を知らなかった。』とある、ホフニとピネハスの態度です。神の愛を無視し続け、弱さを認めようとせず、神と敵対し、常に自分たちが中心になっていたのです。それでは神から流れる恵みを受け損ねてしまいます。『「神は高ぶる者には敵対し、へりくだる者には恵みを与えられる」のです。ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。』【ペテロ①5:5,6】水が高い所から低い所へ流れていくように、神さまの恵みは、ハンナの謙遜な心へ流れ、心から生まれる神賛美に、多くの人々が神を知り、栄光が神さまに帰っていきます。今もです。自分を誇る所には人々すら近づかず、サタンが不意打ちにやって来ます。しかし、イエスさまは、私たちの自分を誇る罪を、十字架の愛によって覆い隠し、聖霊さまが謙遜の心を養ってくださいます。私たちの祈りが凄いからではなく、祈りに応える神さまが凄いから、祈る意味があるのです。祈りが応えられたときこそ、神さまのなさったみわざを証するチャンスであることを感謝して受け取ります。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・森田学師>

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