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執筆者の写真みたまキリスト教会

逃げることを祝福する神

2024.01.14



◎Ⅰサムエル23:7~14、24:14~20

★忍耐=逃げない。ではない★ 私たちは、逃げることは敗北であり、よくないことだと思ってるかもしれません。しかし、時には逃げることも、神様は導かれるのです。苦難の中で、歯を食いしばって、一方的に傷を受け、体も心までも壊れてしまうことは、行き過ぎと言えます。神さまが私たちに求める忍耐とは、私自身の中にある、神様の願われていないことをしたくなる衝動を抑えて、神様からの求めを優先させることです。この聖霊による忍耐が私たちのうちで働くとき、焦りではなく、神の愛に心が満たされていきます。 ★逃げることも神の導き★ 色々な思い考えの中、ダビデは23章で、主の言われることに心を留め、サウルの悪意と堂々と向き合わずに、距離をとり、逃げ回り続けることを選び ます。一方サウルは、地位や名誉、財産を守るために、ダビデを嫉妬し、執拗に追いかけ回します。私たちは、明らかに身の危険を感じる場所や、悪い影響を与える場所には、あえて近づかないように気を付けます。同じように、私たちの魂が破壊されないように、敵意を持って近づく人から、神様は距離をとり守るのです。ダビデとサウルとの間を仕切られ たようにです。(①サムエル23:28) ★逃げる中で養わる愛と謙遜★ ダビデが逃げて隠れている洞穴に、サウルが独りでトイレに入って来た時、ダビデの部下は、サウルに仕返しをする絶好の機会だと言い張ります。しかし、ダビデは、神様の愛に生きることを選びます。『…「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」』(ロマ12:19)ですから、サウルの上着の裾を切り取ったことでさえも、心を痛めたのです。さらに、私は追いかけまわす価値もない犬の死体のようなものですと、謙遜なダビデを通して、サウルは一時的に正気を取り戻します。神様はいつだって、サウルをあわれみ、愛をやめることはありません。 ★イエスの愛に生きる★ 神様は、迫害から逃げ回る苦難のダビデに、神の愛と謙遜を養われます。『「…自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」』(マタイ5:44)敵を愛するとは、敵を好きになることでもなく、敵と一緒に歩むことでもありません。ダビデは、神の愛をもって敵の祝福を祈り、サウルとは別の道を行きます。相手を祝福して祈ることは、私たち自身が、敵の悪意に呑み込まれ、同じ罪を犯させないためでもあります。敵に迫害され逃げることになっても、私たちは、イエス様の愛に生きることを選んでいきましょう。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・森田学師>

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