道となられるイエス
2022.01.02
◎ヨハネの福音書14:1~11
愛する弟子たちへの突然の別れ。『「主よ、どこにおいでになるのですか。」』ペテロだけでなく、神を真剣に考えるとき、質問が生まれます。人の正直な思いにイエスは答えます。『「あなたは今ついて来ることがで きません。」』ペテロがついて行くことが出来ない場所、それは十字架です。トマスにも答えます。『「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」』イエスのことばは、どんな人間の説く道とは、全く違うものです。救いとは、人の努力や人の良い行いにはよらないことを、イエスは今はっきりと示されます。イエスこそが道です、真理、いのちです。“道”というものは、人が大地を踏みつぶし、踏み固められて出来ます。まさか、あんなに麗しく慕っていたイエス様が、あの恐ろしい十字架刑になるなんて。人々から呪われ極悪人扱いされて殺されるだなんて。屈辱の極みだ。そんなの聞いてないよイエス様。口ではそう言い、私たち人間は、このイエスに唾を吐き、鞭で打ち、ののしり、そして十字架で殺す。まるで道が出来るほどに、足で踏み潰され、ボロボロになられるイエス様。確かにペテロは、否、誰もがイエス様のあとをついて行くことはできなかったのです。私たちに踏まれるのをよしとされ、誰よりも低くなられるイエス様。とは言え、十字架で身代わりに殺されるとは、どれほどの痛み、苦しみ、悲しみがあったのでしょう。それでも、人々に踏みつぶされて道となられるイエス様こそ、私たちが神様と永遠に生きるために必要な、真実のいのちの道そのものなのです。歩みが辛くて立ち止まることがあり、転ぶときもあります。それでも道であるイエス様は、あなたを振り落とすことはなさいません。私たちがどんな状況でも、イエス様は喜んで道となり続け、父のみもとへ行くまでずっと支えてくださいます。私たちが天の御国へ向かって、この新しい一年も歩み進むために、罪をも覆う大きな愛で、イエス様が道となられたことを感謝します。<清和キリスト教会YOUTUBEオンライン礼拝・森田学師>
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