城壁の外
- みたまキリスト教会

- 1 日前
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2025.11.30
「城壁の外」
◎マルコ1:4-44
旧約聖書の律法において、ツァラートは伝染性の有無にかかわらず、祭儀的(宗教的)に**「穢れ」**と判断されました。患者は社会から隔離され、イスラエルの共同体から締め出されるという、非常に過酷で絶望的な状況に置かれました。これは、彼らが「アブラハム契約の外」で暮らすことを意味しています。
<イエスの憐れみと律法の完成>
マルコ1 章40 節で、ツァラート患者はイエスの主権を信じ、「お心ひとつで」きよめられることを願ってひざまずきました。イエスは深く憐れまれ、律法で禁じられていたにもかかわらず、「手を伸ばして彼に触れ」、「わたしの心だ、きよくなれ」と宣言されました。この触れる行為は、律法を与えた神ご自身が、神への愛と隣人への愛という律法の原則を具体的に示し、メシアによる正しい律法の姿を完成させた行為でした。ユダヤ人にとって、ツァラートの癒しはメシアしかできない奇跡であり、イエスはご自身がメシアであることの完全な証しを示されたのです。
彼が清められたのは、表面的な病の回復ではなく、イエスのきよさに触れていただいたことで、その瞬間に内面から清められたことを意味します。
<罪のきよめと贖いの場所>
チャールズ・スポルジョンは、ツァラートを私たちの心に潜む「罪、隠され、告白されていない不義」にたとえました。私たちは、自分の罪と汚れを神に告白するなら、神は恵みによってすべての悪から清めてくださると約束されています。Ⅰヨハネ1:
9 さらに、イエス様ご自身も、呪われた者として、汚れた者や異邦人の場所である「エルサレム城壁の外」で十字架にかかり、人類の罪の贖いを完成してくださいました。私たちは皆、かつて「穢れていた」者でしたが、主の御手で触れられ、きよめられて神の子としての身分が与えられています。この恵みに感謝し、キリストの福音を証しし続けていきましょう。<みたまキリスト教会日曜礼拝・奨励・中原基兄>


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