愛の中にとどまり続けた使徒
- みたまキリスト教会

- 7月21日
- 読了時間: 2分

2026.06.28
「愛の中にとどまり続けた使徒」
◎Ⅰヨハネ4:7~10
今回は、ゼベダイの子ヨハネの生涯から神さまのみこころを学びます。かつて「雷の子」と呼ばれた彼が、なぜ後に「愛の使徒」と呼ばれるようになったのでしょうか。
ヨハネの福音書を読むと、彼は自分の名前を名乗らず「イエスが愛された弟子」と自己紹介しています。他者の評価に振り回されるのではなく、イエスさまがどれほど自分を愛してくださっているか、ただひたすらにその「主の愛」だけを見つめ、そこにとどまり続けたのです。晩年に書かれた短い第一ヨハネの手紙には、「愛」という言葉がなんと52回も登場します。まるで究極の「被愛妄想」のように、ダイナミックで生きた愛の交わりにどっぷりと浸かっていたことがわかります。
決して完璧な優等生ではなかったヨハネですが、一度は恐怖で逃げ出した後、十字架の下に戻ってきました。自分の弱さを抱えながらも「ただイエスさまのそばにいたい」という思いでそこにとどまった彼に、イエスさまはご自身の母マリアを託されます。最後まで愛の中にとどまってくれたヨハネだからこそ安心して託すことができ、そこにイエスさまの愛を中心とした新しい「神の家族」が誕生した瞬間でした。
晩年のヨハネは、教会でいつも「子どもたちよ、互いに愛し合いなさい」とだけ繰り返し語ったといわれます。「それが主の命令だからです。これだけが果たされるなら、それで十分なのです」と。彼は初代教会で歌われていたかもしれない賛美歌(または信仰告白)を用いて語りました。それは「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました」という、100 パーセント神さまからの愛が先だという真理に基づいていました。
「愛にとどまる」とは、歯を食いしばってしがみつくことではありません。心の内側に住んでくださる聖霊さまが直接「あなたは愛されているよ」と教えてくださることに身を委ね、温泉に浸かるように神さまの愛にどっぷりと浸かることです。私たちも彼のように「イエスさまが愛された弟子」としての特権を胸に、ただ主の愛の中にとどまり続ける者でありたいと願います。
<みたまキリスト教会日曜礼拝学び・小林泰輔牧師>


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